今シーズンから、日本ハム監督に“電撃就任”した新庄剛志さん。
そのユニークな言動がなにかと話題になりますが、生い立ちも波瀾万丈。
幼い頃は極貧生活、中学時代には大ケガ、そして高校時代にはあわやプロ野球人生を棒にふる事件が。
まるで映画になりそうな新庄監督の少年時代や小学校時代からプロ入りまでの生い立ちを紹介します!
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Contents
新庄剛志の生い立ち|名前の由来から少年時代まで
名前の由来は相撲取り
新庄剛志さんは、福岡市ではなく、実は長崎県対馬市の実家で生まれました。
「コンビニが2軒しかない小さな島で、小さな家の四畳半で生まれた。だから、いまでも四畳半で落ち着く」
生まれた瞬間、太って大きな赤ちゃんだったそう。
そこで、父親が当時有名だった「剛力」という力士から「剛」という字をとり、さらに志のある人間にしたいと「剛志」と命名したといいます。
新庄剛志さんは、なんと生後7カ月で歩き、8か月目には走ったということ。
父も母も運動神経バツグンだったそうですから、DNAを受け継いでいますね。
人に優しい子供だった
新庄さんは、小さな頃から人に優しい子供でした。
家族旅行で両親からソフトクリームを買ってもらったのですが、姉が人とぶつかってソフトクリームを落としてしまいます。
お姉ちゃんが泣いてたから、自分のを「食べていいよ」と差し出した。
ふつう半分こすると思うじゃん。全部食べて、こんどは俺がわーっと泣いた。
それでも、新庄さんはやり返すという反抗心は持つことなく、「人にもっと優しくなりたい」と思えたエピソードだったといいます。
極貧の家庭で育った?
新庄さんの父親は造園業を営んでいましたが、幼少時代は極貧生活を送っていました。
仕事で使う軽トラの窓はガラスではなく、ビニールのゴミ袋が貼られていたとか。
晩御飯がゆで卵2つや、姉と一杯のラーメンを分け合ったりしたそう。
ボットン便所で五右衛門風呂だったから、お金持ちになって水洗トイレやシャワーがある家に住みたかった。
父親の英敏さんは、「勉強せんでスポーツで突き抜ければいい」とよく言っていました。
カウンタックに乗りたくて、陸上、水泳、サッカー、野球のどれがいちばんお金持ちになれる?って親父に聞いたら「そりゃ野球や」と言われたので、野球選手になった。
貧乏からのハングリー精神が、いまの新庄剛志さんを生んだんですね。
単なるお金持ちではなく、人に憧れられる人になりたい。
人がやっていないことをやりたいと思っていた。
まさに、ビッグボス新庄剛志監督のいまの姿です!
ビッグボス新庄剛志監督の生い立ち|小学校時代に事故8回?中学時代に大ケガも!
赤スーツや赤ジャージの理由?
新庄さんは小学生のときから、とにかく落ち着きがない子供でした。
とにかくチョロチョロとするから、なんと交通事故には8回も遭ったそう!
そこで、父親が着せたのが赤色の服だったのです。
「自由奔放に遊ばせてやりたいが、迷子にならないかも心配で、どこにいても目立つように剛志には常に真っ赤なセーターやシャツを着せていたんです。
それが“新庄カラー”になっている。赤は闘争心の色です。
我が家の基本色、勝負色とでも言いましょうか、私も家内とのデートの時によく身につけていました」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d53155c82c2e96784fbae4dd90081286396a702e?page=1
これが新庄さんのイメージカラーのルーツだったんですね!
頭痛薬から学んだ「気持ち」の大切さ
また、父親の英敏さんは「合気道の先生」で、精神力の大切さも教えてくれました。
合気道の先生をしてたお父さんに、小学2年生の時に頭が痛くて頭痛の薬を頂戴とお願いしたところ甘えるな💢 しかし数秒後に今日だけやぞ と薬をくれた
喜んで薬を飲んだら2分で頭が痛いのが治った
お父さんに有難うと伝えたら、剛志 人間気持ちばいその薬は下痢止めだった
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) November 23, 2021
この出来事が、新庄さんの強靭なメンタルにつながっているのですね。
父親との感動エピソードはこちら!【顔画像】新庄剛志の父親は合気道の選手でイケメン!死因は食道がん
小学校時代から負けず嫌い
新庄さんは幼い頃から負けず嫌いだったと父・英敏さんは語ります。
「剛志は何でも“1番”でないと気が済まないところがあるんです。
小学校の頃のマラソン大会でも、最初からトップに立ってレースを引っ張るんですが、いつも最後に息切れをして2位になる。
それが悔しくてよく泣いていました」
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d53155c82c2e96784fbae4dd90081286396a702e?page=1
最初から最後まで1番でないと気が済まないタイプで、とにかくスタートから飛ばす。
それが敗因だったので、英敏さんが私が勝負の駆け引きやラストスパートをするタイミングを教えました。
そして、それからは1番でゴールできるようになったそうです。
リーダー的存在だった!
小学校のころは、マラソンの瀬古さんが好きで、父親がもらってきてくれたSB食品のユニフォームを毎日着て、学校に行っていた新庄さん。
そういう子っていじめられるじゃん。
でも、運動神経よかったからリーダー的存在だったんだよね。
いじめられたことないし、むしろ、いじめられてる子を仲間にいれて、その子がいじめられなくなるのを見るのが嬉しかったということ。
やはり子供のころからビッグボスですね!
「ファイターズ」で将来を予言?
父親のススメで、長丘小学校3年生のときから、ソフトボールを始めました。
走る、投げる能力がハンパなかった新庄さんを見て、当時ソフトボールチームに入っていた英敏さんが、息子にこう言います。
おい、剛志。
メンバーを集めてソフトボールチームをつくってみんしゃい。
そこで、新庄少年は2日間でメンバーを集め、ユニフォームのデザインやチーム名命名も担当。
1983年に「長丘ファイターズ」というチームが誕生しました。
(誕生のきっかけは諸説ありますが、ご本人が父親から命じられたと語っていました。)
最初につくったチームも、プロ野球人生を全うしたチームも「ファイターズ」ってすごくない?
とご本人も驚くほど、まるで将来を予言していたような名前ですね。
中学時代に指を切断?
新庄剛志さんは、中学時代にあわやプロ野球への夢を断たれるかの大怪我をしています。
それは技術の授業で、椅子をつくっていたときのこと。
よそ見をしていたら、板を切る機械の「丸鋸板(まるのこばん)」の歯に左手が!
人差し指をざっくりと切り、野球人生を諦めた新庄さんに、父親はこういったそう。
「お前この指、野球で使わんねぇが!」
まさかの父親の言葉を聞いて、新庄さんもなるほどと納得。
「ポジティブって気持ちを教えてもらった」
と当時を振り返っていました。
BIG BOSS新庄剛志監督の生い立ち|高校時代の暴力沙汰でプロ野球断念?
高校時代から食生活へのこだわりが
父親のススメでプロ野球選手をめざすために、強豪校・西日本短期大学附属高等学校へ。
実は推薦入学ではなく、一般生として受験して入学しています。
親元を離れて寮生活をしていましたが、食生活にはこだわりを持っていたと父親が語っています。
「子供の頃から“体を太くするのではなく、全身筋肉の体をつくりたい”と言っていた。だから太りたくないと言って、あまり量を食べないんです」
寮の食事とは別に、部員は隣にあるラーメン屋に通っていたそう。
代金は月末に親が精算するのですが、他の子の親が5万円とか払っているのに、新庄さんは1万円にもなっていなかったといいます。
「通い帳(ツケを書く帳面)には『ジュース』とかしか書かれていなかった。“たまにはホルモンでも食べろ”と言っても、食べないんですよ」
日ハム選手に痩せるようアドバイスをしている新庄監督スタイルは、この頃から始まっていたんですね。
スカウト陣に怒涛のアピール!
高校時代、チームの4番バッターの選手に実力で勝てなかったという新庄さん。
ある日、その選手を3~4球団のスカウトが見に来ていました。スカウトの人たちが帰ろうとした瞬間、
「チャンスはここしかない!」
と、センターから彼らをめがけて思いっきりボールを投げたそう。
まるで漫画のように目の前の柵にグサっと刺さったボールを見て、スカウト陣はびっくり。
「あの背番号は8番だれですか?プロ選手になれますよ」と監督のところに来たそう。
その後は、新庄さん目当てに11球団のスカウトが来るようになったのです。
チャンスは自分でつかむスタンス、かっこいいですよね。
甲子園出場よりも選んだものとは?
調子にのった新庄さんは、夏の甲子園出場を決める予選の決勝戦で大活躍。
すでに、その試合中に単打・三塁打・本塁打を打った後の4打席目もいい当たり。
二塁打でサイクルヒットならまちがいなくドラフトにっかかるぞ
と頭をよぎったとき、相手の外野手がボールを落としたそう。
あかんあかん!3ベースになっちゃう!
その瞬間、新庄さんは「甲子園に行くか」「自身のサイクルヒットを狙うか」で迷い、結局サイクルヒットを選んでセカンドにとどまってしまいました。
結果的にチームは甲子園に行けなくなったことを振り返り、YouTubeでは「ごめんなさい」と謝っていました。
新庄さんらしい逸話ですね。
先生を殴ってプロ行きがあわや?
プロ野球入りが決まっていた新庄さん。しかし、高校で衝撃の事件を起こしてしまいます。
テスト中に回答し終わったクラスメイトの女の子が、答案用紙の裏に絵を描いていたそう。
先生がそれに怒り、口答えした女の子の頭を2回も叩いてしまいます。
それを見ていた新庄さんは「終わったんだから自由でしょ。次叩いたら、俺いきますよ」と女の子に加勢。
そして、さらに先生が女の子を叩いた瞬間に、新庄さんは先生の胸倉をつかんでボッコボコにしたのです。
それが大問題に。校長先生は「そんなやつをプロ野球には行かせない。高校の恥だ」と激怒。
しかし、広島から呼び出された父親が、新庄さんを叱っていると、かばってもらった女子が事情を説明してくれたそう。
それを聞いた父親・英敏さんは、一言。
お前は間違っとらん。プロ野球はいかんでいい。
そして、父親の言葉に、校長先生も考え直してくれたとのことです。
五厘刈りの坊主頭にして、10日間、学校のゴミ拾いや窓ふきをしました。
と新庄さん。父親の言動に感動したものの、「先生を殴っちゃいかんですね」と反省していました。
しかし、その先生、いまでは「おれ、新庄に殴られたんや。すごかろう」と生徒に自慢しているそうですよ!
まとめ ビッグボス新庄剛志監督の生い立ち!
なにかとユニークな言動で注目が集まる、日ハムのビッグボス・新庄剛志監督。
幼い頃から稀に見る運動神経に恵まれ、貧乏生活を抜け出すために野球選手をめざしたといいます。
しかし、中学時代には指をあわや切断の大怪我したり、高校時代に起こした暴力事件でプロ入りが取り消しになりそうになったり。
なかなか波乱万丈の半生を送ってきたようですね。
その経験が現在の新庄さんをつくりあげているといっても過言ではありません。
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