今シーズンから、日本ハム監督に“電撃就任”した新庄剛志さん。
そのユニークな言動がなにかと話題になりますが、新庄剛志さんを育てた父親もまたユニークな方でした。
身体能力は、合気道が強かった父親譲りだったようですね。
顔もそっくりでかなりのイケメン。
しかし、残念ながら2011年8月に逝去されています。その原因は?
また、新庄剛志さんとの感動エピソードもたくさん紹介しています。
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Contents
【顔画像】新庄剛志の父親は合気道の選手?仕事は造園業!
父親の仕事は植木職人!
新庄剛志の父親は、英敏さんです。
新庄英敏(しんじょうひでとし)
生年月日 1941年生まれ
没年月日 2011年8月5日(享年70歳)
出身地 福岡県筑後市
職業 造園業
新庄剛志さんの父親・英敏さんは昭和47年に福岡市南区に「新庄造園」を設立。
植木職人として、一家を支えてきました。
2019年ごろ、新庄さんが開設していたYouTubeのチャンネル名が「新庄造園」だったようですね。(現在は見られないようです)
新庄剛志 ダルビッシュもYouTube参戦しだしたな🤔
新庄造園って名前やけど、もろ親父さんとこの会社名やん🤣
昔大学時代に新庄パパと酒🍶飲んだの思い出したなあ🤔
実家の近くに昔住んでたので🙄
— ホークス命 (@hawksinochi08) November 7, 2019
つーさん
ふぁいと
トレーニングは
つーさん
貴方を裏切らない@TsuyoshiShinjo新庄造園よりhttps://t.co/d55VQzoekS#新庄剛志 さん #TsuyoshiShinjo#GoSHINJO #YouAreSHINJO#SHINJO #MakeYourDream pic.twitter.com/PCQxFBlVLk
— ruby (@ruby19teardrops) January 18, 2020
チャンネル名に新庄さんの父親へのリスペクトが感じられますね。
合気道の先生も!
また、2021年には父親が「合気道の先生」だったことをTwitterで明かしています。
合気道の先生をしてたお父さんに、小学2年生の時に頭が痛くて頭痛の薬を頂戴とお願いしたところ甘えるな💢 しかし数秒後に今日だけやぞ と薬をくれた
喜んで薬を飲んだら2分で頭が痛いのが治った
お父さんに有難うと伝えたら、剛志 人間気持ちばいその薬は下痢止めだった
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) November 23, 2021
合気道に由来する精神力を、英敏さんは息子に伝えたかったようですね。
指導をするほどですから、若い頃はかなりの選手だったのでは?運動神経の良さはDNAを受け継いでいますね。
また、2022年1月には、新庄剛志さんは新人合同自主トレの初日を視察インタビューにこのように答えています。
「下向いてふてくされていたら2軍。昭和の血が騒いでいますよ。
僕のお父さんは合気道の先生だったからね。怖くはないのが、怖いんです」
新人に対して、自分への厳しさを求める監督らしい発言も、体育会系の父親譲りですね。
【顔画像】新庄剛志監督の父親がイケメン!顔がそっくり?
そんな新庄剛志さんの父親は、新庄さんが阪神でプレイしていた時代もキャンプ、公式戦など甲子園に顔を見せる「名物パパ」でした。
新庄さんのお父さん、ダンディーでかっこいいですよね。
この写真を見ると、身長181cmの新庄監督と身長もあまり変わらない感じです。
新庄剛志監督は、美容整形でバージョンアップしていることを公言しています。【比較画像】新庄剛志『顔の変化』整形&タトゥーを高須先生バッサリ
しかし、高校時代の顔は父親に似てますね。
お父様も若いときは、かなりイケメンでモテたのではないでしょうか?
BIG BOSS新庄剛志の父親の死因は?70歳で食道ガンで逝去
そんな父・英敏さんが逝去されたのは、2011年8月5日のことでした。
死因は食道がんで、享年は70歳でした。
英敏さんは、亡くなる1年半前からがんを患い、7度の入退院を繰り返したそう。
新庄剛志さんの母親は、最期の様子をこう語っていました。
「1度は完治して医者から仕事も、たばこもいいと言われていた。最後は歩けず、目も開けられなかったが、苦しんだ様子はなかった」
新庄監督は、仕事先のインドネシア・バリ島で訃報を聞き、父親への感謝を語っていました。
「最愛の人。いろいろ迷惑をかけて親不孝ばかりでごめん。
ありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです」
お父様の死去から10年後、日ハム監督に就任した新庄さん。
天国で英敏さんも喜んでいるのではないでしょうか。新庄剛志の服ファッションブランドは?スーツやジャージ値段に驚愕!新庄剛志の現在の悲惨生活はネタ?収入源は投資で『資産100億』説も!
ビッグボス新庄剛志監督と父親との感動エピソード
新庄監督の最愛の人、父・英敏さんとのエピソードは尽きないようです。
野球を始めたのは父親の影響!
新庄さんが小学3年から野球を始めたのは英敏さんの影響だったそう。
中学2年には、「長丘ファイターズ」に所属。
しかし、全国大会のメンバー15人からもれて悔し涙を流したとき、チームプレーの大切さを教え込まれ、父親から平手打ちを食らわされました。
また、西日本短大付高進学も父親の推薦でした。
「最初(長女真由美さん)が女の子で、剛志が生まれたときからプロ野球選手にするつもりだった」
これが、英敏さんの口癖だったといいます。
教育方針は「植木を育てるのと同じ」
英敏さんは、新庄さんの教育方針についてこう語っています。
「子育ては植木を育てるのと同じ。
私は放任主義でしたが、完全に放ったらかしたわけではない」
英敏さんいわく、1本の木を育てるには、土壌、肥料、日光、水などに気をつかうように、愛情も剪定も必要。
土壌が両親としたら、肥料は食事、水は愛情で、日光は環境。そして、剪定はしつけだということ。
「剪定はやらないといけないが、やり過ぎるのも問題。
枝の剪定にも、切っていい時期といけない時期がある。
褒めることと叱ることの使い分けが子育てには大切だと思います。
水(愛情)をやり過ぎても根腐れしますしね。
ただ、植木はモノを言わないから子育てより難しい。そう気楽に考えて剛志を育ててきました」
植木職人らしい教育方針の例えですね。
日ハム入りを喜んでいた?
2004年にメジャーから日本球界に戻り、日本ハム入りした新庄さんについて、英敏さんは『週刊ポスト』のインタビューに応じていました。
「日本ハムのキャンプに行って、剛志も変わったと思いましたね。パ・リーグに行って落ち込んでいるかと思っていたが、阪神時代より元気でした。
阪神時代は人気球団のファンの多さにあぐらをかいて、“なんでオレばかりサインしなければいけないの?”という気持ちでいたのが、日本ハムでは“オレが引っ張っていかないといけない”とチームを盛り上げるためにムード作りをしていますね。
メジャーでの3年間が勉強になっている。日本ハムのキャンプでは最後の1人までサインをしていた。
お客さんあってのプロ野球というのがわかったのだと思います。あのまま阪神に残っていたら、こういう気持ちを知らずに終わったはず」
引用元:https://www.news-postseven.com/
いくつになっても息子。新庄さんの成長した姿を見て、英敏さんは満足している様子だったようです。
巨人入りを反対していた?
しかし、実は新庄さんは日本に帰国後、巨人を選ぶつもりだったそう。
「というのも、私が巨人ファンで、プロ野球選手として巨人でプレーするのが夢だった。
それを知っていたので、最後の親孝行のつもりだったんでしょうね」
しかし、英敏さんは“巨人と阪神だけはダメだぞ”と本人に告げたそう。
「剛志は驚いていましたが、“巨人や阪神のような人気球団に入れば、また阪神時代のようにダラッとしてしまう。
それに巨人に入って阪神戦でホームランを打ったら、阪神ファンに殺されるぞ。
おまえは阪神で育ててもらった。阪神ファンを敵に回してはダメだ”と伝えました。その後、電話は掛かって来ませんでしたが、日本ハムを選んでくれた」
父親の意見に忠実に、将来の選択をしたのですね。
グローブの感動秘話!
小さい頃から植木職人である英敏さんの背中を見て育った新庄監督。
「親父は仕事終わった後に、ハサミとかを毎日手入れして、道具を大事にしていたの」
自分の仕事道具を大切にする姿勢も教わったようです。
「だからプロ野球に入って最初の給料、7500円で買ったグローブを大事にしようと思った。
このグローブがダメになったら辞めようって決めてプロをスタートして17年間、ずっ~と1個のグローブだけ。同じのを使っていたの」
新庄さんほどの選手が7500円のグローブを使い続けたなんて驚きです!
「それが17年目でダメになってきて。俺の体もダメになってきて『あ、コレは終わりだ』って。
それ(道具を大事にすることを)を教えてくれたのは親父だから、親父が死んでそのグローブを棺桶に入れて、一緒に燃えたの」
そして、そのグローブは英敏さんとともに、新庄監督の活躍を天国から見守っていることでしょう。
息子のために断酒した?
阪神タイガースOB会長の川藤幸三氏さんが、若き日の新庄選手に持ちかけられた仰天の悩み相談を明かしています。
「ウチの親父は酒を飲みだしたら止まらないんです。
僕や母親が言っても聞きません。カワさんやったら、親父も言うこと聞くかなと思って…。会って話をしてもらえませんか」
キャンプ地に見学に来て、スタンドでお酒を飲んで、仲間と騒いでいる姿に、新庄さんは真剣に悩んでいたそう。
「あれだけ飲めば体も壊すし、実は悪くもなってるんです。
親父の体のことも考えてのことなんです」
英敏さんの健康も心配して、なんとか川藤さんに3人の食事会の機会を設けてもらったといいます。
そして、単刀直入に川藤さんが、英敏さんに忠告をしたそう。
「こんなかわいい自慢の息子が、親父さんの体を心配しとるんですよ!
それをわからんと昼間から大騒ぎして、息子や周りにどれだけ迷惑を掛けているか考えてみてください!」
すると英敏さんは、反省したのか…
「そこまで迷惑かけてるとは知らんかったです。わかりました。
これからは酒は一滴も飲みません!」
川藤さんが、そこまでやらなくても…とフォローしても、九州男児の決意は固かったようですね。
「あの日以来ずっと、親父は酒を飲まなくなりました。
ちょっと気色悪いです」
川藤さんに新庄さんから、こう報告があったそう。似たもの親子というか…とてもおもしろいですね。
まとめ 新庄剛志の父親は合気道強いイケメン!死因は?
満を持して日ハム監督に就任した新庄剛志さん。
なにかと言動が注目されますが、その父親の英敏さんもかなりユニークな方でした。
職業は造園業で植木職人。
合気道の先生をしていたので、若い頃は選手だったのでしょうね。
新庄さんは父・英敏さんのことを尊敬し、野球に対する姿勢にもかなり影響を受けていたようです。
残念ながら70歳で逝去されましたが、新庄さんが現役時代に大切に使ってきたグローブをお棺に入れたそうです。
そんな英敏さん、ビッグボス新庄監督の活躍を天国から見守っていることでしょう!