日本人2人目のNBA選手として、トロント・ラプターズで活躍中のバスケ・渡邊雄太(わたなべゆうた)選手。
タレントの渡辺裕太さんと読みは同姓同名ですが、こちらは東京オリンピック日本代表のエースです。
そんな渡邊雄大さんのご両親、父親も母親も元バスケットボール選手です。
206センチという高身長も親ゆずり。
幼いころから、両親の教えや特訓に支えられて、バスケットボール選手として成長してきました。
そんな渡邊雄太さんの姉も、元バスケットボール選手。
そこで、渡邊雄太さんの家族の経歴をまとめてみました。
子供時代から、NBA契約を結ぶまでの「感動秘話」も見逃せません。
Contents
バスケ渡邊雄太(わたなべゆうた)の経歴!尽誠学園高校からNBAで活躍!
渡邊雄太選手は、現在、カナダのトロント・ラプターズで活躍しています。
誕生日 1994年10月13日(26歳)
出身地 香川県
学歴 高松市立牟礼中学校 尽誠学園高校 ジョージ・ワシントン大学
ポジション SF/PF
背番号 18
身長 206cm
体重 98kg
血液型 A型
神奈川県横浜市に生まれ、4歳の時に香川県木田郡三木町へ移住。
小学1年時に三木スポーツ少年団で本格的にバスケットボールを始めました。
2010年4月、尽誠学園高等学校に進学。
高校卒業後は、渡米してNCAA1部に入る、ジョージワシントン大学へ。
実力を発揮し、NBA・メンフィス・グリズリーズと契約。日本人2人目のNBA選手となりました。
現在はカナダのオンタリオ州トロントに本拠を置くNBAに参加するトロント・ラプターズでプレイしています。
東京オリンピック代表チームのキャプテンにも選出され、活躍が期待されています。
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【顔画像】渡邊雄太(わたなべゆうた)の両親(父母)も姉も元バスケ選手!身長は親譲り!
そんな渡邊雄太さんは、いわゆる「サラブレッド」とも言えます。
父・英幸さんもかつて日本リーグの熊谷組に所属したバスケットボール選手。
母の久美さん(旧姓久保田)もシャンソン化粧品に所属し日本代表経験も有する元選手なのです。
渡邊雄太の父・英幸は熊谷組で活躍
父親は渡部英幸さんといいます。
生年月日 1958年9月28日(62歳)
身長 190cm
出身 香川県
バスケの実業団チーム「熊谷ブルーインズ」で9年間プレイの経験があります。
チームは1952年創部。1968年の第1回全日本実業団競技大会では優勝、翌年日本リーグに昇格しています。
1990年代にはタイトルも獲得し、一時代を築きましたが、1994年休部となりました。
その後、香川に戻り三木町に居を構えてから、地元中学の外部コーチ、三木町ミニバスチームの指導などスポーツの普及に貢献。
仕事は営業職をしているとのこと。
2021年4月には東京オリンピックの聖火ランナーを務めています。
渡邊雄太の母・久美は日本代表!
母の久美さん(旧姓久保田)もシャンソン化粧品に所属し日本代表経験も有する元選手です。
本名 渡邊久美 (旧姓久保田)
誕生日 1961年10月30日(59歳)
身長 177センチ
出身地 和歌山県
大阪府枚方市立津田中から甲子園学院高校に進学し、全国高校総体で準優勝を果たしています。
その後、日本リーグのシャンソン化粧品に所属し、1985-86シーズンに日本リーグMVPを獲得。
全日本にも選ばれ、1983年世界選手権に出場、主将も務めました。
シャンソン化粧品は、歴史と実績があるチームです。
- 日本リーグ・Wリーグ優勝 16回
- 全日本バスケットボール選手権優勝 10回
- 全日本実業団バスケットボール競技選手権優勝 4回
- 国体優勝 1回
現在は「シャンソン化粧品 シャンソンVマジック」という名で、静岡県静岡市をホームタウンとしてWJBLに所属しています。
渡邊選手がバスケをはじめたきっかけは、母親がコーチを務める地元三木町の「スポーツ少年団」でした。
渡邊雄太の姉・夕貴も元バスケ選手!
また、渡邊雄太選手の姉・夕貴さんも元バスケ選手です。
誕生日 1993年1月8日(28歳)
出身地 香川県
ポジション(現役時) GF
身長(現役時) 170cm
小学生の時にミニバスケを始め、飯山中学在籍時、2006年都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会で香川県チームの一員としてベスト8に。
高校は桜花学園高校に進学し、ウィンターカップベスト8を経験。
卒業後の2011年、アイシン・エィ・ダブリュに入社。
2011年11月6日、デンソー戦でWJBL公式戦初出場。
2013-14シーズン終了をもって現役を引退を発表しています。
バスケ選手である父と母、そして姉に囲まれて、渡邊雄太選手はバスケ選手になるべくしてなったという感じですね!
バスケ渡邊雄太(わたなべゆうた)と両親(父母)の感動エピソード!
そんな渡邊雄太選手とご両親との感動エピソードとは?
子供時代からNBAとの契約まで、盛りだくさんの秘話がありました。
きっかけは母がコーチするチーム!
渡邊選手の幼少時代は、ごく平均的な身長・体重だったと母・久美さんは話しています。
「とにかく人見知りで、泣き虫な子どもでした。父親にさえ、1歳を超えるまで近寄らないし、私がお風呂に入るために雄太のもとを離れるだけで、大泣きでした」
渡邊選手のバスケとの出合いは、幼稚園入園時。
現在の住まいである、香川県に居を移した際、久美さんが、小学生のバスケチームのコーチを依頼されたのがきっかけでした。
「週に3回の練習には、いつも雄太も一緒でした。まだ小さいから練習に参加できなかったけど、小学校に上がったとき、自分から『ボクもやりたい』と言い出して」
その後、小4で本格的に試合に出始め、小学6年ではエースを務め、チームを県大会優勝まで導くまでに成長していきました。
中学時代は泣きながら特訓?
バスケへの熱は加速し、よき指導者を求めて、隣町の中学校に進学。
久美さんが車で送り迎えしていたそう。
「あまり反抗期はなかったです。まだ身長も165センチくらいで、体も細かった。190センチのお父さんに逆らったら、大変なことになるって、わかっていたんでしょうね」
渡邊雄太選手、中学時代までは身長は普通だったようですね。
そのころ、父・英幸さんは高知県に単身赴任中でしたが、毎週末には一緒に練習をしていました。
3回も4回も連続して、同じようなミスをすると、英幸さんの怒鳴り声が響いていたと久美さんは語ります。
「『惰性で練習するから同じミスをするんや!』って。私は犬の散歩がてら練習に顔を出していましたが、『また怒られて泣いているわ』って(苦笑)」
泣きながらも練習を続け、シュートの精度は上がっていったと父もコメント。
「1日、最高で1,000本のシュートを成功させるまで、続けたこともあります。1,000本入れるには、1,300本は打たないと終わらない。
4時間くらいかかりました。本当にしんどい練習だったでしょうけど、『こんなことでバスケは嫌いにならないだろう』という確信もありました」
中学3年生の最後の試合では、けがで利き腕の左手が使えなかった渡邊選手。
しかし、ドリブルもパスも右手でこなして、遠くからのシュートも、右手で軽く放ってキレイに決めたそう。
「普通じゃそんなことありえない。“大化けするかも”と思いましたね」(久美さん)
予想外のアメリカへ?
高校時代には、身長が2メートル近くまで伸びた渡邊選手。
日本各地の大学から“ラブコール”が集まったといいます。
しかし、雄太選手は予想外の言動に。
「ところが、雄太が高3のときです。2泊3日で東京の2つの大学を見学に行ったのに、最後の日に、雄太に『どっちにするの?』と聞くと、『お母さん、アメリカの大学に行きたい』って言いだしたんです。英語も全くできないのに」(久美さん)
両親は、“夢を追う息子”に、父の英幸さんはひとつだけ条件を出したそう。
「どんなに努力しても、向こうの選手たちにはかなわないかもしれない。挫折したらいつでも戻ってきていいよ、と。
ただ、アメリカの大学は、バスケを頑張っているだけでは進級も卒業もさせてくれない。勉強で落第するようなことがあったら、帰ってくるなと話しました。
勉強嫌いだった雄太の覚悟をそこで試しましたが、『オレは(勉強も)死ぬ気でやるよ』と即答してくれましたね」
留学中は送られくる試合のDVDが楽しみだったといいます。
「留学中、試合のDVDが送られてくるのが楽しみでした。映像では、コーチに口答えしている姿も。泣き虫でおとなしかった雄太が、自己主張する姿を見て“一皮むけたな”と」(久美さん)
ついにNBA本契約へ!
そして大学卒業後、その実力がグリズリーズの目に留まり、ついにNBAのコートに立つことになります。
2018年10月27日には、デビュー戦に出場。日本人としては、田臥勇太選手に続いて、14年ぶり、2人目の快挙となりました。
父・英幸さんは喜びを語っています。
「朝、起きたら雄太から『今日、ベンチ入りする』って、メールがあったんです。私は入院中で、試合の放送を見たのは病室でしたが、コートに雄太が立った瞬間は『よっしゃー!』って、大部屋なのに大声を出してしまいました(笑)」
そして、グリズリーズとはいわゆるツーウェイ契約でいたが、2021年4月19日になんとトロント・ラプターズと本契約を結んだのです。
その喜びを英幸さんはこのようにコメント。
素直に嬉しいです。8年前、英語力ゼロの痩せっぽちの日本の少年が、世界一のバスケ大国に何の保証もないまま単身渡米し、僕らの想像を遥かに超える幾多の苦難を乗り越えて辿り着きました。
立派だと思います。と同時に、まだまだ厳しい戦いが続きますし、ちょっとでも油断しようものなら、世界中の猛者たちから直ぐに足元を掬われて奈落の底に落ちてしまうという状況に変わりはありません。今まで以上の努力を重ねて、更に上を目指して頑張ってほしいです。
東京五輪の代表メンバーに選ばれ、キャプテンを務める渡邊雄太選手。
意気込みを聞かれたには、両親への感謝も語っていました。
「両親だったりとか恩師の方々のおかげでここまで自分も来られていると思いますし、今までお世話になった人たちのためにも自分がしっかり活躍をして恩返しをできたらなというふうに思っています」
両親の大きな愛に支えられて、ここまで上りつめた渡邊雄太選手。
今後のNBAでの活躍、オリンピックでのメダル獲得に大きな期待がかかります。
まとめ 渡邊雄太(わたなべゆうた)の両親も元バスケ選手で高身長は親譲り!
NBAで活躍する渡邊雄太選手。
そんな渡邊雄太選手は元バスケ選手である両親のDNAを受け継いで、成長してきました。
父・英幸さんは元熊谷ブルーインズ、母・久美さんはシャンソン化粧品で活躍していました。
両親の影響で幼い頃からバスケに興味を持ち、高校を卒業するまでは、父親に鍛えられてきた渡邊選手。
大学では自らの意志でアメリカに羽ばたき、NBAのトロントラプターズと本契約する実力を発揮しています。
東京五輪でも、日本代表メンバーとして、キャプテンとして、活躍が楽しみです!