一世を風靡したチェッカーズのヴォーカル、藤井フミヤさん。
現在もアーティストやタレントとして、大人の魅力を見せてくれています。
そんな藤井フミヤさんの奥様は、実は久留米市の老舗書店の令嬢だったんです。
馴れ初めもロマンチックでした。
【顔画像】藤井フミヤの嫁はとわたりまちこ
藤井フミヤさんは、1990年6月29日、長年交際していた中学校の同級生である都渡まちこ(とわたりまちこ)さんと結婚しています。
まちこさんは一般女性ですが、結婚披露宴後に記者会見を開いています。
10年以上の交際を実らせてゴールイン。久留米水天宮で挙式しています。
こちらが結婚披露宴の写真。
結婚後1991年に長男が生まれ、1993年には長女が生まれました。
長男は藤井弘輝(ふじい こうき)さんで、2016年に慶応大学を卒業し、フジテレビの新人アナウンサーとして入社。
藤井フミヤさんも入社式に出席したと話題になりましたね。
2歳年下の妹は、藤井杏奈(ふじい あんな)さんといい、高校時代にスイスに留学し、一般企業に就職したといわれています。
藤井フミヤの嫁・とわたりまちこの実家は『菊竹金文堂』
まちこさんの実家は久留米市の「菊竹金文堂」という老舗書店です。
- 1861年、久留米市中央町で書店「二文字屋(にもんじや)」として創業。
- 1905年には県の教科書特約店となった。
- 旧本店ビル(2017年解体)は、喫茶を併設するなど現在の書店の形を先取りし、モダンな大正建築が市民に愛された。
- 戦後の一時期には出版も手掛け、北原白秋や横溝正史の書籍を刊行。
- 日本映画界を代表する女優・原節子さん(2015年死去)のエッセーを掲載した雑誌「想苑」も。
- 同社で経営を学び、のれん分けを受けた弟子たちの店舗が九州、四国、中国に約20残り出版文化に影響を与えた。
- 1971年には福岡市・天神の福岡ショッパーズプラザに大型書店の先駆け「りーぶる天神」を開店。
- 大分県、宮崎県、広島県にも進出し、地元でもJR久留米駅前や中心商店街に支店を置いた時期がある。
これだけ聞いても、西日本の書店や出版に大きな影響を与えた存在だったことがわかります。
現在ではネットなどの影響で、苦渋の決断で小売店をたたみ、教科書販売が中心の外商部門は継続しているということ。
2019年時点で、社長は7代目の都渡(とわたり)良子さん70歳とありました。
まちこさんの姉妹か親戚の可能性が高いですね。
藤井フミヤと嫁の馴れ初めがロマンチック!
藤井フミヤさんと嫁のまちこさんは中学の同級生。
「ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれたよ」とチェッカーズ時代に歌っていたフミヤさん。
まちこさんは、それほど由緒正しい大きな書店の令嬢ですから、最初はフミヤさんとの交際をお父様が反対していたということ。
そこで、フミヤさんはまちこさんの家族にの目にも触れるように「芋版」をつくって年賀状を送ったそう。
まちこさんのお父さんがその芋版の出来ばえに感心して、二人の交際を認めてくれたというのです。
藤井フミヤさんは、現在、画家としても作品を発表していますから、そのころからアートの才能があったのでしょうね。
書店を営む家庭に、自分のクリエイティビティをアピールするとは…フミヤさんの作戦勝ちです!
藤井フミヤと嫁の現在は?結婚30年でもラブラブ
藤井フミヤさんは高校卒業後、1年間、国鉄(現在のJR)職員として「早岐駅」に勤務。
東京で働いていたまちこさんとは、遠距離恋愛だったのです。
フミヤさんは、休みの日には地元の久留米に戻り、高校時代に結成した「チェッカーズ」の活動を続行。
その後、チェッカーズは「ヤマハライトミュージックコンテストのジュニアライト部門」でグランプリを獲得。
フミヤさんは国鉄を退職し、1983年にチェッカーズとしてメジャーデビューを果たしたのです。
2枚目シングル「涙のリクエスト」で大ブレイク。歌はもちろん、そのルックスでも女性ファンに大人気でした。
そして、人気絶頂のころ、フミヤさんの車が首都高で炎上、同乗していた女性(今の奥さん)の存在が明らかになり、結婚に至ったということ。
「待たせてごめんね」
そんなプロポーズを経て、デビューから7年後にまちこさんと結婚しています。
結婚から30年たった現在もフミヤさんとまちこさんはラブラブのようですが、こんな発言も。
「かみさんが世の中で一番怖い」「(女性は)時効がない。30年前のこと昨日のことのように言ってくる」
そんなふうにぼやきながらも、フミヤさんのまちこさんへの愛情は中学時代から変わっていないのでしょうね。素敵すぎます。