宝塚歌劇団月組の元トップスターで、現在は女優やタレントとして活躍している紫吹淳(しぶきじゅん)さん。
最近ではバラエティに出演することも多く、そのマネジャー「ばあや」の存在も有名です。
ばあやこと、菅由美子さんと紫吹さんの切ってもきれない関係とは?
そこには、母娘以上の強い絆がありました!
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紫吹淳と「ばあや」菅由美子マネージャーとの出会いは?
もう30年以上の関係!
「ばあや」こと菅由美子さんと紫吹淳さんの出会いは、紫吹さんが19歳のとき。もう30年以上の付き合いです。
菅由美子さんはもともと、紫吹淳さんの上級生・日向薫(ひゅうがかおる)さんが好きでした。
しかし、紫吹淳さん出演の舞台を見て「素敵なダンスを踊る人だな」と、ファンになったそう。
実はタカラジェンヌにはマネージャーがいないので、それぞれのファンクラブの会員がボランティアで世話をする風習があるといいます。
菅由美子さんは紫吹淳さんのファンクラブの代表に。
紫吹淳さんが20歳になり一人暮らしを始めた際、身の回りの世話をかって出たそうです。
紫吹淳は何もできない?
15歳で宝塚歌劇団に入団、トップスターの道を歩んできた紫吹さん。
実生活では「できない」「やったことない」ことだらけだそう。
- 宝塚音楽学校在籍の2年間は洗濯をしたことがなかった。
- 掃除機をかけたことがなかった。
- 手料理はつくったことがなかった。
- 公共料金の支払い、ATM操作、銀行振り込みができない。
- 電車の切符が買えない、suicaのチャージができない。
これらのお世話を、紫吹さんが宝塚在籍中は無償でやっていた「ばあや」は本当にすごいですね!
紫吹淳の「ばあや」もオスカー退社!菅由美子は生涯マネージャー?
そして、紫吹さんが2004年3月、35歳で宝塚を卒業してからも、関係は続いています。
これには、テレビ番組「おかべろ」で菅さんが本音をポロリ。
(宝塚歌劇団を)卒業したら「あなたがやらなくちゃならないんだよ」って、しめしめと思いながらやってたんですけど、卒業しても同じ状態が続いて「おかしいな」って思いながら…。
2004年4月に紫吹さんがオスカープロモーションに所属した際、なんと菅さんもマネージャーとして入社。
「トップスターたるもの、生活感を出していはいけない」という紫吹さんのポリシーを、こんどは「プロ」として支え続けています。
さらに、2020年9月には、紫吹さんがオスカープロモーション退社を発表。
これに伴い、菅さんもオスカーを辞めたようですね。
2人で一緒にテレビ番組などに出演していますから、紫吹さんの個人事務所「株式会社エヴォリュエ」に入社したものと思われます。
紫吹淳の「ばあや」菅由美子の年齢は58歳!
紫吹淳が心配する「2035年問題」とは?
そんな「ばあや」の年齢は、紫吹淳さんの6歳年上。
2020年1月現在で58歳です。
すっかり有名人となり、テレビのダイエット企画に出演したことも!
ばあやに頼り切りの紫吹さんが心配しているのは、「2035年問題」。
2035年には菅さんは、一般的な健康寿命といわれる73歳を迎えます。
まだまだ結婚の予定がない紫吹さんは、少しでも長く健康でいてほしいと「ばあやのメンテナンス」をしているそう。
- 年に1回の人間ドック
- 半年に1回の海外旅行
- 月に1回もマッサージ
- 週に1回の運動
おそらくすべての手配は「ばあや」ご本人がやっていると思われますが。
紫吹さんは「私が夫、菅さんが妻のような関係」と語っていますが、まるで母と娘のようでもありますね。
バラエティー番組で自立?
一方で、菅さんは紫吹さんを心配し、「自立して早く嫁に行ってほしい」と思っているようです。
紫吹淳さんが自分を客観的にみられるように、バラエティー番組に出演させたのもばあや。
おかげで、ばあやに頼り切りの自分が「痛い女性」と自覚できるようになり、今では菅さんに感謝しているそうです。
その甲斐あってか、最近ではコンビニで買い物ができるように!
コロナ禍での自粛生活では、ハンバーグやビーフシチューなどの料理をつくって菅さんをもてなしたとか!!
うなるほどおいしいですよ。マネジャーも「お金出せる」と言ってくれた。
家にあったちょっと高めのワイン1本使って。
お料理にはお砂糖は使わず、ハチミツを使う。そのせいか2~3キロやせました。
引用元:https://www.nikkansports.com/
ばあやも感激したのでは?
自立していく紫吹さんの姿を、嬉しいような、寂しいような気持ちで見守っているのでしょうね。
紫吹淳 プロフィール
本名 棚澤 理佳(たなざわ りか)
生年月日 1968年11月19日(52歳)
出生地 群馬県邑楽郡大泉町
身長 170cm
幼いころからダンスを始め、バレリーナになる夢を持っていた。
1984年に宝塚音楽学校に入学。徐々に頭角を現し、1992年に舞台『スパルタカス』の新人公演で初主演を務める。
2001年に真琴つばさの後任として、月組トップスターに就任。
2004年に宝塚歌劇団を退団した後は、女優やタレントなど、マルチな活躍を見せている。