60代とは思えないほど、若々しい女優、紺野美沙子さん。
現在も美しいですが、若い頃はさらにかわいらしく、キャンペーンガールなどとしても活躍していました。
慶応大学卒で知的で清楚なイメージでしたが、男性関係は派手だったという噂も?
それを暴露したのが、なんと俳優の長門裕之さんだということです。
しかも、五木ひろしさんの実名までと飛び出しています…。
当時の状況を紺野美沙子さんの若い時の写真とともに振り返ります。
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【画像】紺野美沙子の若い時が超かわいい!
生年月日 1960年9月8日(61歳)
出生地 東京都狛江市
身長 167 cm
血液型 A型
学歴 カリタス小学校、カリタス女子中学校、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科
紺野美沙子さんは、3人姉妹の次女として生まれました。
小学校5年生のときに演劇部に入り、「安寿と厨子王」を演じた達成感で女優をめざすように。
慶応大学在学中の1979年、19歳のときに、映画「黄金のパートナー」で俳優デビューを果たしました。
また、同年、3代目ユニチカマスコットガールにも選ばれています。
そして、1980年、20歳でNHK連続テレビ小説『虹を織る』のヒロインを演じて、お茶の間の人気モノに。
その後、「武田信玄」「あすか」など多数のドラマに出演しています。
舞台「細雪」で演じた三女・雪子役も高い評価を得ています。
1984年には、唯一の写真集「紺野美沙子―うさぎ恋し」で、24歳の抜群のプロポーションを披露しています。
その後、1998年に国連開発計画(UNDP)親善大使の任命を受け、カンボジア・パレスチナ・ガーナ・東ティモール他、アジア・アフリカの各国を視察するなど、国際協力の分野でも活動しています。
紺野美沙子の若い頃の男性遍歴?長門裕之に暴露された五木ひろしとの関係
暴露本で男性遍歴が?
そのルックスと役柄で、清純派として人気を博していた紺野美沙子さん。
1985年、25歳のときに、ターニングポイントを迎えました。
俳優の長門裕之さんが、出版したエッセイ「洋子へ―長門裕之の愛の落書集」で、紺野さんの赤裸々な男性関係が暴露されたのです。
本の中で、長門さんは紺野さんを批判しています。
「男ぐせの悪い尻軽女だ」
さらに、こんな表記もありました。
「才女みたいに言われてるけど、パーティーなんかあるとすぐ男と消えちゃう 男のことになると、てんでだらしがないんだ」
長門さんが紺野さんについて、このように批判的な文章を書いたのには理由がありました。
長門さんは芸能プロダクションを営んでいたことがあり、紺野さんはその事務所に所属。
ギャラなどでもめて、移籍しましたが、そのときにトラブルになったようですね。
本の中では「五木ひろし」さんとの関係まで暴露されています。
「ギャラでもめて辞めてったんだけど。男性関係がルーズでずいぶん泣かされちゃったんだよね。
ロケ先のホテルで相手役の俳優の部屋に泊り込んじゃって、とうとう朝まで帰ってこない。五木ひろし君ともできていたと思うね」
引用元:http://dokujyochannel.net/archives/79937755.html
記者会見後は悪女役も!
これに対して紺野さんは急遽記者会見を開きました。
「嫁入り前の娘がこんなことを書かれて、黙ってられません」
と、激怒のあまり涙と鼻水を流しながらと本を叩きつけたそう。
当時のワイドショーの取材では、長門裕之さんはこの本をゴーストライターに書いてもらうつもりだったということ。
取材で、ポロっとしゃべったオフレコ情報がそのまま書かれていたと釈明していました。
ちなみに、他の女性有名人についても、過激な内容が暴露されています。
- 長門さんが扇千景さんにフラレて自殺未遂をした。
- 池内淳子さんとは妻の南田洋子さん公認の愛人関係だった。
- 松田聖子さんについては「社会人としての態度がなっていない」「歌は聴くに耐えない」と酷評。
のちに、紺野さんはじめ、これらの女性有名人たちには謝罪したという話もあります。
ちなみに、この本は炎上しすぎて、第二版からは内容を大きく変更したそうです。
そして、紺野さんは、この一見で「清純派」から方向転換。
1990年には、テレビドラマ「誘惑」で悪女役に挑戦しています。
まとめ 紺野美沙子の若い時は男好き?長門裕之の暴露内容とは?
60代とは思えない美貌を保つ、女優の紺野美沙子さん。
現在もとても綺麗ですが、若い頃はかわいらし美人です。
NHKの朝ドラで主演をするなど「清純派」で人気でしたが、俳優の長門裕之さんの「暴露本」で男性関係が明らかにされました。
ことの真偽は不明ですが、当時はかなり反響を呼んだようですね。
この一件で、紺野美沙子さんは悪女役にも挑戦!女優としての幅を広げています。
オトナの魅力を放つ紺野美沙子さんの、今後の活躍も楽しみです。