吉川ひなのさんは、2021年5月13日にエッセイ「わたしが幸せになるまで」を出版。
その生い立ちが壮絶すぎると話題になっています。
芸能界で稼いだお金は、両親に吸い取られていたようですね…。
そんな吉川さんの壮絶なおいたちエピソードや、ネット上では「毒親」ともいわれる両親についてまとめています。
Contents
吉川ひなの生い立ち|父親は吟遊詩人?母親はフィリピン人?
吉川ひなのの家族構成は?
吉川ひなのさんの家族構成は6人家族です。
父親
母親
兄 一也
姉 舞
ひなの(本名は愛)
妹 麗麗
家族の苗字は高田と言われています。
4人兄弟の3番目で、本名は高田愛さんです。
吉川ひなのの父親の職業は?
「父親の職業を訊かれたら『吟遊詩人』と答えなさい」という吉川ひなののパパ上の教育方針が好きだった。
— 檀弓まがり (@magali_mayumi) November 1, 2009
吉川ひなのさんは、父親の職業について明言はしていないようですね。
「吟遊詩人」「画家」「写真家」であったりと、その情報はバラバラ。
ものづくりや芸術に関わる仕事をしていた可能性もありますね。
吉川ひなのの母親はフィリピン人?
吉川ひなのさんは、日本人離れした顔立ちとスタイルからハーフと思う方が多いようですね。
若い人は知らないかもしれないが、吉川ひなのなんかもフィリピンハーフじゃなかったかなたしか、彼女なんかはフィリピンハーフだからこそ、あの可愛さで、モデルだったんじゃないかとも思う。南国系の顔だった。
— Detchi (@gonbe3) March 17, 2015
日本人とフィリピン人のハーフの女の子って、すごい可愛い子が多い気がする。
吉川ひなのちゃんみたいな感じの子。
白人とのハーフより当たり(!?)が多いと思う。— モモ (@pajeneko) August 25, 2010
さらにネットの掲示板には、このような情報もありました。
ひばりヶ丘時代にうちの姉ちゃんがひなの妹と仲良かった
たしか
母ちゃんフィリピーナ 日本名はカズエ
兄ちゃん 和也
姉ちゃん 舞
ひなの 愛
妹 麗
こんな感じだったよ。高田家。
匿名の情報なので信ぴょう性は不明ですが、この方によると母親がフィリピン人ということ。
しかしながら、吉川ひなのさんはデビュー当時から「自分は純日本人です」と主張。
さらに、後述する吉川ひなのさんの兄・一也(こちらの漢字が正しい)さんは、このようにブログで公言しています。
「僕はインディアン系アメリカ、フランス、日本の混ざっている」
「正確にはクォーターということになる」
両親ではなく、祖父母に外国の方がいるということですね。
一也さんとひなのさんの両親が一致するなら(腹違いなどではなければ)ひなのさんも、インディアン系アメリカ、フランスの血を引くクォーターになりますね。
吉川ひなのの兄は一也!
吉川ひなのさんの兄の名前は田一也高さんです。
1970年7月20日生まれの50歳で、吉川ひなのさんは1979年12月12日生まれの41歳と9歳差です。
一也さんはパーソナルトレーナーとして活躍されています。
以前は「Die:SEXION(ディセクション)」というバンドでボーカルをしていたそう。
体格がぜんぜん違いますね…。
吉川ひなのの姉や妹は?
ひなのさんの姉も妹も一般人のようで、顔写真などは公開されていません。
以前、妹さんのことを「天才パティシエ」と紹介していました。
パティシエとして働いている可能性も高いですね。
どちらにしても、美女に間違いありません!
吉川ひなの生い立ち|毒親との金銭トラブルエピソード
吉川ひなのさんは初エッセイ『わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方』で、自身の壮絶なおいたちを綴っています。
13歳からスタートした輝かしいキャリアの裏側にあった“搾取”と言っても過言ではない日々。
そして血のつながりから、両親から逃れられずに葛藤しつづけた行き場のない心。
ネット上では、「毒親」の声も聞かれました。
吉川ひなの毒親の記事読んで今は幸せそうでよかったねと思ったら、あかん方向に行ってしまったのか…
— ながみ (@nagami111) May 17, 2021
吉川ひなのの毒親コラム読んで結構大変だったんだね…みたいな気持ちになってたんだけどエッセイ本スピ全開本ってマジ!?人にはいろんな面があるよね…
— もすがる (@mossgaru) May 17, 2021
詳しくは本書をぜひご覧いただきたいのですが、両親との「お金にまつわる壮絶エピソード」を一部まとめてみました。
貧乏で借金取りが!
幼少のころはかなり貧乏だったようです。
- 支払いができなくてしょっちゅう電話が止まっていた。
- 借金取りがきて、お母さんは今いないと言いなさいと納戸に隠れる母親に言われた。
- スーツを着た大人に玄関先で「お母さんがいるのはわかってる。お嬢ちゃんが呼んでくれるまでおじさんたちは帰れない」と言われ学校に行けなくなったりした。
用途はわかりませんが、かなり借金があったようですね。
親がギャラを使い込み!
その後、1991年12歳の時にスカウトされ、伊勢丹のポスターで鮮烈なデビューを飾ります。
2004年にはパリコレに出場するなど、モデルとしてタレントとしてキャリアを積むように。
ギャラも相当なものだったと思いますが、すべて親が管理していたようですね。
- 「わたしは芸能活動をそんなに長くはできないと思う。だからお願いだから貯金だけはしておいてほしい」と何度も頼んでいた。
- ついに芸能活動が辛くなり、他の仕事を探すからそれまでの生活費として、わたしの貯金を分けてほしいとお願いしに行った。
- しかし、両親はひなのさんの稼いだお金を、豪邸を借りるなど使い込んでいた。
- よくわからない言い訳を繰り返し、結局、通帳には豪邸の家賃の1ヶ月分にも満たない額しか残っていなかった。
貧乏生活から一転。
ひなのさんのおかげで両親は豪邸に住み、お金も使い込んでしまったのでしょう。
貯金箱まで持っていかれ…
これにガクゼンとしたひなのさんは、両親にお金が渡らないように事務所に給料を自分の口座に直接振り込んでもらうことにしたところ…。
- 一人暮らしをするわたしの家の前にはいつも、母親からわたしにお金を用意させるようにと命令された父親が待ち伏せしていた。
- ひとり寂しく過ごす成人式の日も、父親が「お金のことなんだけど……」と尋ねてきた。
- 「今日わたし、成人式だったみたい」と言ってみたが父親は興味なさそうに、いつもの困り顔で、お金をせびってきた。
そのころひなのさんは、最低限の仕事しかしなくなったことで収入が激減。
つつましやかに暮らし、500円玉貯金をしていたそう。
- 「こないだ渡したお金で全部だよ。もう次のお給料が入るまで、お金ないよ」と言うと、「困っちゃったなぁ……」と父親。
- 「この間からそこのマイメロディの貯金箱で500円貯金を始めたの。今はもうそのお金しか、本当にないよ」と伝えた。
- すると父親はなにも言わずにその貯金箱を持って去って行った。
これにはさすがに吉川さんも号泣したそうです。
吉川ひなのと両親の現在は?絶縁した?
その後、両親とは絶縁したことがあったようですね。
「もちろん親を恨むこともできたし、実際に絶縁している時期もありました」
引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82961?page=2
しかし、ひなのさんは、それで解決ではないし、気持ちもすっきりしないと思ったそう。
そして、結局は「許す」ことを決断したようですね。
「結果論なんですが、私はどんなに理不尽な目に遭わされても、されてしまった人よりしてしまった人の方がツラいはずだとあるときから思うようになりました。
私はされた側だから恨まれることも憎まれることもない。してしまった側のほうが本当の意味ではツラいんだろうなって。
だから、とにかく許そうと。どうしても好きになれない部分はもちろんあるけれど、それでも許そうとずっと思い続けてきました」
引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82961?page=2
ひなのさんの生い立ちを特集していた番組「バイキング」では、ひなのさんと両親との現在の関係について触れていました。
「現在は和解」
「日本とハワイなので会うことはないでしょうが」
「父親とも交流がある」
吉川ひなのさんも、ご両親も「過去のこと」としてお互い納得しているのかもしれません。