3回連続、NHK紅白歌合戦に出場。
歌唱力はもちろん、女優・高畑充希さん似の美貌でも人気の演歌歌手・丘みどりさん。
演歌歌手としてヒットを生み出せたのは、お母さんのおかげだと語っています。
実は、母親の早苗さんは残念ながらすでに逝去されています。
その死因とは何だったのでしょうか?
また、丘みどりさんを支えた感動エピソードをまとめています。
【画像】丘みどりの母親・早苗さんの夢も歌手だった
丘みどりさんは1984年7月26日、兵庫県姫路市で誕生。
父親は公務員、母親は専業主婦。弟と2人兄弟で、4人家族の長女です。
お母さん、キレイな方ですね!
歌を始めたきっかけは、お母さんの勧め。
丘さんの人見知りを心配して、5歳から民謡教室に通わせることに決めたそう。
実は、丘みどりさんのお母さん・早苗さんも歌手を目指したことがあったのです。
「母自身も若いときに歌手を目指していたこともあり、歌に関してはとても厳しかったです。
自宅でも稽古があり、ワンフレーズ覚えて歌えるようになったら、『眠ってもいいよ』と……。いわゆるスパルタ教育ですね。」
叶わなかった自分の夢を娘に託していたのでしょうね。
お母さんの厳しい指導があってか、すでに小学生5年生でその頭角を現します。
11歳で初めて出場したコンクール「兵庫県日本民謡祭名人戦」で、見事優勝。
その後も数々のコンクールで優勝を果たし、「民謡の天才少女」と呼ばれるようになったのです。
民謡を習っていたせいもあり、しだいに演歌に興味を持つようになった丘みどりさん。
「3歳のときには島倉千代子さんの『人生いろいろ』を歌っていました。初めて買ってもらったCDが鳥羽一郎さんの『兄弟船』。
近くのホールでコンサートをするのは演歌歌手が多かった。かっこよさに憧れました」
ところが、意外なことに18歳でアイドルとしてデビュー。オーディションに受かってしまったそう。
しかし、やはり母親の影響で演歌歌手をめざしたといいます。
「アイドルは向いていない。自分は演歌歌手になるんだと専門学校に通って、発声など基礎からやり直しました。
そんなときカラオケ番組に出演したのが大阪の演歌歌手の事務所の目に留まり、2005年に演歌歌手としてデビューできました」
いま、丘みどりさんが実力派演歌歌手として活躍しているのは、お母様の後押しがあったからなのですね。
丘みどり母親の死因は大腸がん!自暴自棄を救った父親の言葉
しかし、演歌歌手としてデビューをして間もなくのこと。
母親が末期の大腸がんということが判明。余命は半年と宣告されてしまうのです。
丘さんは、入退院を繰り返す母に付き添うため一時活動を休止。
「少しでも長く母に生きてもらいたかったので、『私、絶対に紅白に出られるような歌手になるから。それまでちょっと待っていて』と母に言いました。
母も『みーちゃんが紅白に出るまで頑張らなきゃ』と、言ってくれましたが、とうとう天国に旅立ってしまいました」
お母様の早苗さんが亡くなられたのが、2006年。享年47歳の若さでした。
丘みどりさんは、大きな支えを失い、自暴自棄に。
そんなとき救ってくれたのが、お父さんの一言。
「父に歌手をやめたいと打ち明けると『帰っておいで』と言われ、実家に帰ったんですね。
そこで怒られたりしたら反発したかもしれませんが、『みーちゃん、何とかなるやろ』と励まされたんです。続けようと決意しました」
丘みどりが紅白出場を母親に報告
お母様の思いを受け継ぎ、演歌歌手を続ける決心をした丘みどりさん。
しかし、人生は甘くはありませんでした。
デビュー10年、30歳になってもヒット曲に恵まれず。
それでも信念を貫き通した末、2016年にブレーク。2017年末のNHK紅白歌合戦で初出場を果たしました。
出場が決まってすぐ、母親の墓参りに行き、「ありがとう」と報告したという丘さん。
「お母さんからお返事はありましたか?」という記者からの質問に笑顔でコメントしていました。
「『しっかりと歌いなさい』と聞こえたような気がします」
以来3年連続、紅白出場という快挙。
自分の夢も叶えてくれた丘さんの姿を、早苗さんは天国から優しく見守っているのでしょうね。
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丘みどり プロフィール
小学5年生で「兵庫県日本民謡祭名人戦」の県名人に選ばれたのを皮切りに、多くの民謡コンクールで優勝。
山崎高校在学中にオーディションに合格し、18歳でホリプロ大阪のHOP CLUBとしてデビュー。
グループ脱退後、2005年8月に『おけさ渡り鳥』で演歌歌手デビュー。
キングレコード移籍第一弾のシングル『霧の川』が日本作詩大賞優秀作品賞に輝くなど注目を浴びる。
2017年の第2弾シングル『佐渡の夕笛/雨の木屋町』が大ヒット、同年の紅白歌合戦に初出場を果たした。