国際政治学者として、自らの言葉を発信し続ける、三浦瑠麗さん。
「強い女性」というイメージも持たれますが、さまざまな経験を経て現在の三浦さんがあるようです。
実は、三浦瑠麗さんにはお子さんを亡くされた過去があったのです。
三浦瑠麗は夫・清志と学生結婚だった
三浦瑠麗さんと夫・三浦清志さんは同じ東京大学の出身で学生結婚をしています。
清志さんが大学2年生、瑠麗さんが大学1年生のときに授業で出会い、ずっと友達関係でしたが、清志さんが大学4年になるころから交際に発展。
同棲を始めまたのは、瑠麗さんいわく「往復4時間以上の通学時間を減らしたかったから」ということ。
結婚を決めたのも、実情に迫られてのことだったよう。
「彼が外交官になったことも大きかった。1年後に海外赴任を控えていて、ついていくなら籍を入れないとビザの問題があったからね」
引用元:https://withonline.jp/people/furuichi-whatismarriage/LaqyA
大学卒業後、外務省に入省した清志さんの事情に合わせて、2002年瑠麗さんが22歳でまだ学生だったときに結婚しています。
ちなみに三浦瑠麗さんは農学部の出身。
国際政治学者をめざすきっかけになったのは、結婚後だったそう。
実はそれまで実家の方針でテレビを見たことがほとんどなくて。ニュース番組も見せてもらえなかったんです(笑)。
結婚後にやっと自由に見られるようになったテレビでイラク戦争の実情を知り、国際政治に関心をもったことがこの道へ進んだ最初の一歩です。
引用元:https://withonline.jp/people/furuichi-whatismarriage/LaqyA
三浦瑠麗『子供亡くなる経験』29歳で!死因は切迫流産
その後も瑠麗さんは就職せず、博士号を取得するために東京大学大学院で30歳まで学生を続けています。
望んでいた子供になかなか恵まれず、結婚から7年目ちょうど博士論文を書いているときに妊娠が判明したそうです。
しかし、学問と家庭生活の両立はかなりハードだったようで…
論文の追い込みと並行しながら、引越をして新生活の準備を整え、なんとか論文を提出。
近場への小旅行で少し息抜きできたかなというところで、切迫早産を経験、長女は死産でした。
思い返せば、あれもこれもと頑張りすぎてしまったのかもしれません。
引用元:https://oggi.jp/98597
三浦さんは、2010年(平成22年)4月下旬に、自然分娩で子供を産みますが、結果は死産。
まだ22週を超えたところで、27cm、410gという小さな女の子でした。
通夜の晩は、夫に隠れて独りで声を上げて泣き明かし、悲しみからなかなか日常生活に戻ることできなかったと語っています。
子どもが亡くなったとき、同じ経験をもつ方が集うウェブ上の掲示板をずーっと見ていたんです。
そういう時期もきっと必要なんです。
引用元:https://kidsline.me/magazine/article/420
そんな三浦さんが、次に進もうと思えたきっかけは自分を見つめなおしたこと。
子供を亡くした経験は、そんなにたやすく乗り越えられるものではありませんよね。
私の場合、ただひたすら振り返って、自省し、思いをめぐらしたことが結果的には乗り越えることに繋がりました。
自分を見つめ直すことで、かけがえのない、いまを生きていくことができるようになったのです。
引用元:https://kidsline.me/magazine/article/420
後ろ向きなことも含めて自分の気持ちにとことん向き合ったことが、次に進む原動力になったようです。
三浦さんの凛とした強さは、このような経験を乗り越えて生まれたものだったのですね。
三浦瑠麗の娘は現在小学生に!
そんな出来事を乗り越えて、2012年、三浦さんが32歳の時に長女が誕生しています。
2020年年現在で8歳ということ。
名前や顔は公開されていませんが、SNSでは娘さんとのツーショットも!
2020年のお正月には着物で。身長も高そうですね。
初スキーでの母娘ショット。とても仲がよさそうです!
お顔は隠れていますが、きっと美人さんなのでしょうね。
子供を死産する悲しい経験をされた三浦瑠麗さんですが、現在はかわいい娘に恵まれてシアワセに暮らしているようです。
性的被害の経験も告白!三浦瑠麗の性的被害の内容や犯人は?自伝で若い頃の苦悩告白【画像】
三浦瑠麗 プロフィール
三浦瑠麗(みうら・るり)
旧姓:濱村瑠麗(はまむら・るり)
生年月日:1980年10月3日
出身地:神奈川県茅ヶ崎市
出身校:平塚市立金旭中学校→神奈川県立湘南高等学校→東京大学
研究分野:国際政治学、比較政治学
学位:博士(法学)
職業:国際政治学者