冬になれば必ず耳にする『ロマンスの神様』。
冬の女王の異名をもつ、広瀬香美さんの大ヒット曲ですね。
そんな広瀬香美さんは、1999年に俳優の大沢たかおさんと結婚、2006年に離婚しています。
売れっ子歌手と実力派俳優の過ごした7年間は、なにかと謎の多い夫婦生活だったよう。
その4つの謎に迫ります。
Contents
『なぜ』出会った?広瀬香美と大沢たかおの馴れ初めは?
シンガーソングライターである広瀬香美さん、俳優である大沢たかおさん。
一見、ふたりの接点はないように感じますが、馴れ初めは何だったのでしょうか?
広瀬さんと大沢さんの出会いのきっかけは、大沢たかおさんの主演映画「ゲレンデがとけるほど恋したい。」でした。
この映画の主題歌を広瀬さんが担当したことが、ふたりを結び付けたのです。
映画の公開は1995年、その3年後の1998年夏に、大沢さんが広瀬さんにアタックして交際がスタートしたということ。
なぜ、3年間のブランクがあったのかは謎ですが…。
そして、1年ほどの交際を経て、1999年にふたりはゴールイン。
当時はまだ大沢たかおさんがかけだしの俳優だったため、すでに「冬の女王」の称号を得ていた広瀬香美さんとは「格差婚」と揶揄されたこともありました。
『なぜ』ひとり?大沢たかおの不思議な記者会見とは?
大沢たかお一人のらりくらり会見
1999年に発表された広瀬香美さんと大沢たかおさんの結婚は世間を騒然とさせました。
なぜなら、結婚することを双方の事務所にも内緒にしていた「電撃結婚」だったからです。
関係者はてんやわんやの大混乱だったということ。
そして、不思議だったのが結婚会見です。
芸能人どうしの結婚にもかかわらず、記者会見にはまだ売れていなかった大沢たかおさんがひとりで出席。
しかも、結婚会見だというのに、大沢さんの髪は寝癖で後頭部がぐしゃぐしゃ。
ジーンズに白いTシャツ、ジャンパーを羽織ったラフなスタイルで現れ、カメラのフラッシュを浴びて一言。
「こういうの初めてなんで、緊張します」
記者からの質問への返答もものらりくらり。プロポーズの言葉や婚約指輪を渡した状況については…
「エヘヘ、それがないんですよ。ドラマのようにはいきませんね、現実は」
「車の中だった気が…男の人って意外に覚えないもんです」
ただ、お互いに惹かれた理由については、きちんと答えていたようです。
「彼女はとても明るくて、前向き。そういうところにひかれました。話が合うし、一緒にいると過ぎていくのがすごく早いんですよ、時間が」
(広瀬さんが大沢さんに惹かれたのは)「僕の暗いところですかねえ」
なぜ広瀬香美は欠席?
広瀬香美さんは、かつて自身の容姿にかなりコンプレックスを抱いていたと言われています。
デビュー翌年リリースの「ロマンスの神様」で大ブレークした後も、音楽番組やコンサートなどへの露出は、広瀬さんの売り上げを考えると、ありえないほど少なかったということ。
「しかし、当時の広瀬は、芸能界の最大手プロダクション『バーニングプロダクション』系列の事務所に所属しており、活動をサポートされていたこともあって、まさに“無敵”状態でした。
当時は外見コンプレックスがあったようで、極力露出を避けていたと言われています」(週刊誌記者)
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201401_post_1557woman/
記者会見でも、「大々的にテレビに映りたくないのでは?」という憶測が飛び交いました。
人前に出るのが苦手だった広瀬さんが、「あなたが応えといて!」と大沢さんに託したのかもしれません。
すでにロスでの挙式を済ませいましたが、写真も公開されず。
そのときの様子を問われた大沢さんは、なぜか困った表情でこう答えていたそうです。
「花嫁姿?輝いていたと思います。キレイ?さあ、どうなんでしょう」
『なぜ』広瀬香美と大沢たかおに子供がいないのか?
広瀬香美さんと大沢たかおさんには子供はいませんでした。
特に不妊に悩んでいたというわけではなく、広瀬さんが「子供を作らない」という意向で、大沢さんもそれに合意していたといいます。
理由については明らかにされていませんが、広瀬さんは結婚した1999年、独自のメソッドを提唱するヴォーカル・レッスンスクール「Do Dream」(現・広瀬香美音楽学校)を開校。
さらに、母校と同系列校の福岡女学院大学で客員教授としても教鞭を執るなど、シンガーソングライターからキャリアの幅を広げています。
仕事がおもしろくてしょうがない時期だったでしょうから、子供のことは考える余裕もなかったのでは?
また、広瀬香美さんは一人っ子で兄弟もいないので、大家族をつくりたいという願望もなかったのかもしれません。
『なぜ』広瀬香美と大沢たかおは離婚したのか?
結局、7年の結婚生活を経て、2006年にふたりは離婚しています。
詳しい離婚理由については明かされていませんが、いくつか原因があったようです。
仕事優先ですれ違いの生活
広瀬さんは結婚後すぐに仕事の拠点をロサンゼルスに移しています。
一方で、旅行が好きな大沢たかおさんには「放浪癖」があり、結婚後も広瀬さんは仕事、大沢さんは自由を優先した生活をしていたのでしょう。
俳優としてはかけだしだったこともあり、結婚当初は「主夫」として忙しい広瀬さんをサポートしていた大沢さん。
しかし、その後、大沢さんはドラマ『星の金貨』や映画『世界の中心で、愛をさけぶ』などのヒットで大ブレイク。
「大沢自身が忙しくなる一方、広瀬は続くヒット曲に恵まれず、格差は逆転。
それで疎遠になっていったんです」(芸能記者)
引用元:https://www.asagei.com/excerpt/35924
お互いが忙しなった上に、夫婦の関係も微妙に溝ができ、物理的にも心理的にも距離が離れてしまったことが離婚の一因だと思われます。
強気で自己主張が強い性格?
広瀬香美さんの気の強い性格は業界でも有名です。
2018年6月に所属していた事務所「オフィスサーティー」とトラブルになり、移籍した際も、元事務所の社長から広瀬さんの性格にういて暴露された場面があったようです。
「7年間のうち、マネジャーが28人も辞めた」(元事務所社長)
「広瀬が新人の女性マネジャーに対し、パワハラまがいの言動を取っていたのではと、言及したのも驚きました。
なんでも彼女は、広瀬から肩を殴られたことが原因で退社したそうです」(スポーツ紙記者)
引用元:https://www.cyzowoman.com/2018/06/post_187589_2.html
また、別の音楽関係者からはこのような証言もあがっていました。
「とにかく広瀬は、完璧主義的な神経質さで、少しでも他人がミスをすると、まるで“イジメ”のような反省を強いていた。
広瀬を怒らせてしまったある担当者は、自己啓発本を何冊も渡されて『感想文を提出しなさい』とムチャぶりされていました。
さらにそのデキが悪いと、ほかのスタッフが大勢いる前で広瀬に電話をかけて、大声で謝罪と反省の弁を繰り返させられ、涙目になっていましたからね」(音楽業界関係者)
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201401_post_1557woman/
さらに、番組『梅沢富美男のズバッと聞きます!』では、広瀬さんのロサンゼルスでの生活に密着。
その際のスタッフへの態度に非難が集中したこともありました。
広瀬さんは、毎日夜明け前から3時間にわたり歌の練習をし、その後は1時間の筋トレに励むなどストイックな日常をアピール。
その後、スタッフにいった言葉が「嫌味」ととられたようです。
「(取材を受ける期間が)4日があったらもっと(歌が)成長できたのに」
また、『広瀬香美音楽学校』で、日本の一般人向けに歌の授業をしているところを公開。
生徒に「音程が悪すぎる。何なんだ、あなたたちは」と悪態を付き、舌打ちする様子にも批判が集中。
一方的な証言などもありますが、もしこれらが本当の広瀬さんの姿だとしたら、7年間も絶えてきた大沢たかおさんが凄いということになります。
『なぜ』広瀬香美はテレビ出演が増えた?
この謎は、大沢たかおさんとは関係ありませんが、あれほどメディアを嫌っていた広瀬さんが、最近ではテレビはもちろん、youtubeやインスタにもたびたびご自身の姿を登場させています!
最近では、顔の雰囲気が変わり、美容整形やボトックス注射疑惑も囁かれている広瀬さん。
噂の真偽はわかりませんが、なにか心境の変化があったのでしょうか?
ちなみに広瀬さんは2008年10月にアメリカ人の一般男性と再婚しています。
大沢たかおさんも17歳年下の女性との熱愛が報道されています。
結局のところ「夫婦の謎」は当人どうしにしかわかりませんが、いまはお互いシアワセな道を歩んでいるようです。
広瀬香美 プロフィール
生誕 1966年4月12日(54歳)
出身地 福岡県筑紫野市
学歴 福岡女学院中学校・高等学校(音楽科)、国立音楽大学音楽学部作曲学科
5歳より音楽の英才教育を受け作曲家を志す。
大学卒業後に渡米。
LAにて、マイケル・ジャクソンのヴォイス トレーナーであるセス・リッグス氏に師事。
滞在中に制作した自作のデモ音源が、レコード会社の耳に留まり、1992年にデビュー。
1stシングル『愛があれば大丈夫』を発表後、『ロマンスの神様』などのヒット曲で「冬の女王」と呼ばれる。
歌手、シンガーソングライターの傍ら、ボイストレーナーとしての顔も持つ。