中垣内祐一は事故で監督辞任の危機に?救ったのは被害者の感動の一言

いよいよバレーボールワールドカップ2019が始まりました。

日本代表の指揮をとるのは、中垣内祐一監督。

実は、中垣内監督は過去に監督退任の危機に陥ったことがあったのです。交通事故が原因でした。

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中垣内祐一(なかがいちゆういち)の交通事故の内容は?被害者の状況は?

その交通事故は2016年11月に起こりました。その後、罰金70万円の略式命令が出されています。

中垣内監督は昨年11月9日午後、広島県庄原市の中国自動車道で工事規制中の男性警備員をはね、頭などに重傷を負わせたとして書類送検されていた。

バレーボール男子日本代表の中垣内祐一監督について、大阪区検が自動車運転処罰法違反(過失致傷)の罪で略式起訴し、大阪簡裁が罰金70万円の略式命令を出していたことが23日、分かった。

引用元:https://www.sankei.com/west/news/170523/wst1705230037-n1.html

中国自動車道を走っていたのは、堺ブレイザーズの部長として新加入する選手のご家族への挨拶に向かっていたそうです。

中垣内さんは、ハンドル操作を誤り、工事で通行が規制された車線にいた男性警備員をはねてしまいました。

警備員は頭部に重傷を負いましたが、命には別条がなかったそうです。車は横転して中垣内氏も軽く負傷しています。

車の破損具合を見ると、かなりの衝撃でぶつかったことがわかります。被害者の方は本当に命に別状がなくて不幸中の幸いでした。

中垣内祐一は事故で監督退任の危機に?救ったのは被害者の感動の一言だった

事故後、日本協会の林孝彦事務局長が「本当に申し訳ない」と謝罪。

中垣内さんは2016年10月に日本代表の監督に内定していましたが、この事故で中垣内さんの重大な過失が発覚すれば、代表監督が白紙になる可能性もあると言われていました。

実際、その後、関係者の間には「内定を取り消すべきだ」という声もあがっていたようです。

「(中垣内さんは)2016年10月に日本代表監督に内定しましたが、直後に交通事故を起こして男性に重傷を負わせた。そのため日本バレーボール協会の内外で監督内定を取り消すべきだという声が上がりましたが、当時の木村憲治会長の後押しもあり、正式契約を結んだのです」(スポーツ紙記者)

引用元:https://bunshun.jp/articles/-/9875

そして、事故から中垣内祐一監督は会見を開いて、公の場に現れました。声を震わせながら、謝罪を述べています。

半年の間、監督の退任は考えなかったのか?という記者の質問にこう答えていました。

「率直に事故直後はそういったことも考えた。しかしながら、この監督の選考の中でバレー協会の中で多くの議論があって選ばれた。責任もあり、自分の口からは辞退は申してこなかった」

引用元:https://www.daily.co.jp/general/2017/05/24/0010219860.shtml

前述の通り、日本バレーボール協会の中ではかなりの議論がされていたようです。事故は起こしたものの、それだけ中垣内さんへの期待も大きかったということ。

さらに、被害者への申し訳ない気持ちと、一度決まった日本代表監督を投げ出してもいいのだろうかという気持ちの葛藤があったと明かしています。

しかし、そんな葛藤から救ってくれたのは、被害者のご家族の一言だったといいます。

「こういうことがあったけど、なんとか日本のバレーを立て直してください」

引用元:https://www.daily.co.jp/general/2017/05/24/0010219860.shtml

2016年といえば、2回連続オリンピック予選を敗退し、ワールドリーグでの順位も24位と、過去の栄光を誇る日本男子バレーボールの歴史の中でも「どん底」だった時期。

被害者の方も当時はまだリハビリを続けている状態だったといいますが、そのような大変なときに、この一言をかけられたら中垣内さんも決意を固めずにはいられなかったのでしょう。

この一言で予定どおり日本代表監督に就任することを決めたそうです。

事故後は、検察処分が決定しないことから、元フランス代表監督のフィリップ・ブランコーチが監督代行を務めていましたが、2017年6月から中垣内さんは日本代表監督として正式に合流しています。

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中垣内祐一(なかがいちゆういち)監督プロフィール

中垣内祐一監督 プロフィール

生年月日 1967年11月2日(51歳)

出身地 福井県福井市

身長194cm 体重94kg

中学生のときにバレーボールをはじめ、福井県立藤島高校卒業後に1986年に筑波大学体育専門学群に入学。

大学1年からレギュラーになり、在学中の1989年には全日本代表に初選出。同年開催のワールドカップに初出場。

大学を卒業後は1990年に新日鐵入部。

日本代表ではバルセロナ五輪をはじめ数々の国際大会に出場し、主将も務めるなど全日本のスーパーエースでした。

2004年に現役引退。

堺ブレイザーズ監督に就任。2005-2006年シーズン、チームをVリーグ優勝に導く。

2017年6月から日本代表監督就任。

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まとめ 中垣内祐一は事故で監督辞任の危機に?救ったのは被害者の感動の一言

紆余曲折ありながらも、日本代表監督として関係者、選手、そしてファンの期待を背負ってきた中垣内祐一監督。

ワールドカップ、そして東京五輪では、ぜひを獲得して、事故の被害者とご家族の思いに応えてほしいと願っています。

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