悲しい訃報が入ってきました。陸上女子長距離の指導者として2000年シドニー五輪マラソン金メダルの高橋尚子さんら数々の名選手を育成した小出義雄監督が、4月24日亡くなられたそうです。
突然のことに、驚きが隠せません。そこで、小出監督の亡くなった原因は何なのか?病気などで闘病生活を送っていたのかを調べてみました。
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小出義雄監督死去のニュースに「なぜ?」と惜しむ声が多数
【訃報】陸上の小出義雄氏が80歳で死去、高橋尚子さんら名選手を育成https://t.co/bpZFSJVq5I pic.twitter.com/2iG4kenPug
— ライブドアニュース (@livedoornews) April 24, 2019
突然の訃報に驚いた方々も多いと思います。有森裕子さんや高橋尚子さんを育て上げたマラソンの名監督が亡くなったとうことで、その名前を聞けばすぐに顔が浮かびます。ネットでも小出監督の急逝を惜しむ声が多数あがっていました。
小出監督が亡くなった。高橋尚子が金メダルをとったシドニー五輪が印象深い。合掌#マラソン https://t.co/K0NGcyfyEE
— Jun Shimoyama/下山 純 (@JunShimoyama) April 24, 2019
マラソンの高橋尚子選手を育てた小出監督が逝去されました。
若々しかったのでもっと若いかと思ってたけど80歳だったんですね。
日本のスポーツ界の新しい指導者像を作った1人だと思います。
合掌。https://t.co/C7lnmWZWrd— はまじ⚽️エンジョイサッカーを全国に (@hamaji99) April 24, 2019
小出監督も平成のうちに旅立ったようで… 合掌 #carrist_talk
— AQUA-REX (@aquarex100) April 24, 2019
小出監督に会ったことはありませんが、恩師だと思っています。サブスリーランナーになれたのは小出監督のおかげです。御冥福をお祈りします。
— マルイチLOVER (@MARUICHI_LOVER) April 24, 2019
小出義雄監督の訃報。
父がタクシーの運転手をしていた頃、宮崎のホテルから小出監督と高橋尚子選手を乗せたことがあった。ふたりは、後部座席でずっと仲良く喋っていたそうで、小出監督が、父に
「Qちゃんはね、すごく運の強い子なんですよ。Qちゃんを乗せた運転手さんもきっと幸運になりますよ」と。— 澪那本気子(ミオナマジコ) (@mionamajiko) April 24, 2019
小出監督がお亡くなりになられました。
僕のラインの言葉。花の咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて立派な花が咲く。
これは高橋尚子さんが言われていた言葉ですが、この言葉は高橋尚子さんの師である『小出監督』の言葉でもあります。
救われてきた言葉です。#西川口#ホスト— 西川口サザンクロス 役職EA 華神 歩(あむちん) (@ayumu_kagami) April 24, 2019
小出義雄監督の経歴やプロフィール
有森裕子選手、高橋尚子選手、鈴木博美選手…オリンピックをはじめ世界で活躍する選手を育てる名監督として知られる小出氏。自身も順天堂大学時代に3回箱根駅伝を走った経験を持つ。大学卒業後、23年間高校教師として陸上部の指導を続け、88年リクルートランニングクラブの監督に就任。全日本実業団女子駅伝2連覇。97~’02年に積水化学女子陸上部監督に就任。その後、佐倉アスリート倶楽部(株)を設立。社長を務める。一昨年予選敗退だった豊田自動織機チームを、わずか一年で全国優勝に導くなど、その監督手腕は本物。
ご自身も箱根駅伝を走った経験があるとは知りませんでした!さらに最初は、高校教師として陸上部の指導をしていたんですね。いまだに、有森選手や高橋選手との練習風景の映像ははっきり思い出すことができます。
また、数々のお人柄を表すエピソードもあります。
高橋尚子がシドニーオリンピックで金メダルを取った時は、途中の様子を見て「これは勝てる」と安心したため、祝杯と称してお酒を大量に飲んでゴール地点や祝勝会に参加できなかったとのこと。
また、監督がゴールにいてあげるべき時は選手が勝った時ではなく、負けた時に「おまえが悪いんじゃない、監督が悪いんだ。」と慰めるためだ、と語っていたそうです。
そのユニークで豪胆なお人柄も、選手やファンの方々に愛されてきた小出義雄監督だったと実感します。
小出監督の死因は心疾患?高齢によるもの?
訃報のニュースでは、詳しい死因などはまだ発表されていません。ただ、かねてから心疾患を患い、闘病をしていたという情報もあります。
15年8月、米国・ボルダ―での合宿中に不整脈から来る心疾患で倒れ、緊急手術。今でも心臓にはペースメーカーが入っている。医師からは「意識がなくなって、だいたい死んでしまう」と言われたほどだったが「何言っているんですか、私は死ぬ気がしない」と言い返した小出氏。「あと5年、東京までは死ねないよな。勝たせて死にたいよな、勝たせて…」。
引用元2016年の記事 https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/02/18/kiji/K20160218012061290.html
小出監督は2015年に心疾患で倒れて手術を受けています。その後は、心臓にペースメーカーを入れて生活をされていました。それでも歩ける頃は脚を引きずりながら選手の指導していたし、2017年のクイーンズ駅伝でも会場で選手を祝福し、報道陣相手にジョークを飛ばすほど元気だったそうです。
しかし、その後、かつての教え子であった原裕美子選手が万引事件を起こし逮捕されたり、クイーンズ優勝メンバーのドーピング違反による優勝取り消しなどの事件が起こり、精神的にも大きなショックを受けたようです。それが影響したのか体調を崩し、2017年秋には千葉県内の病院で入院生活を送り、闘病していたと関係者の方が語っていたことがわかりました。
この心疾患が直接、小出監督の死因であるかどうかはわかりりませんが、その病気の影響が長年身体に負担をかけ、さらにショックを受けるできごとが精神的にもダメージを与えていたのかもしれません。
詳しいことがわかりしだい、情報をお伝えしたいと思います。
小出監督は第一線を退く意向を示していた
つい先日の4月1日には、指導者としての第一線を退くという発表をされていました。
2000年シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子らを育てた小出義雄氏(79)が3月末をもって指導の一線から退いた。小出氏は1日、「今月(15日)で80歳になるし、体力も衰えた。指導者としてけじめをつけることにした」と語った。
小出氏が代表を務める佐倉アスリート倶楽部は女子の実業団チームのユニバーサルエンターテインメントから指導業務を委託されていた。1年ごとの契約更新にあたり、今回、小出氏が勇退の意向を示し、新年度は契約を更新しないことになった。心臓などに持病を持つ小出氏は最近、グラウンドに立つことはなかったが、先月の名古屋ウィメンズマラソンには足を運んでいた。
小出氏はこれまでを振り返り、「有森とまではいかないけれど、自分に満足している」と、1996年のアトランタ五輪で銅メダルに輝いた教え子の有森裕子が口にした「自分をほめたい」という言葉を引き合いに語った。
https://www.asahi.com/articles/ASM4134QNM41UTQP001.html
ご自身でも、体力や気力の限界を感じられていたということかもしれません。「自分をほめたい」という言葉が心にしみます。
まとめ マラソン小出監督の死因は?心疾患の病気で闘病していたのが原因?
いかがでしたでしょうか?
高橋尚子選手や有森裕子選手などの名選手を生み出した小出義雄監督が、4月24日亡くなられたことが報じられました。現在のところ、詳しい死因などはあきらかにされていませんが、3,4年前に患った心疾患や80歳というご高齢であったことが、身体に負担をかけたのではないかと思われます。
詳しい情報が入り次第、お伝えします。昭和の女子マラソン史を築いたといっても過言ではない小出監督のご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。