【画像】中井貴一の母親が美しい!益子は小津安二郎も憧れた看板娘?

9月12日放送の「直撃!シンソウ坂上」に俳優の中井貴一さんが登場。

過去の作品やご自身の人生、そしてご家族について語っています。

中井貴一さんのお父様は、名優・佐田啓二さんですが、お母様はどんな方だったのでしょうか?

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【画像】中井貴一の父親は佐田啓二・姉は中井貴惠!

中井貴一さん プロフィール

本名 中井 貴一

生年月日 1961年9月18日(57歳)

出生地 日本 東京都世田谷区

身長 181 cm

血液型 A型

学歴 成蹊中学校・高等学校を経て成蹊大学経済学部卒業

父はトップスター佐田啓二さん。かなりのイケメン。やはり親子ですから似ていますね。

姉は女優・エッセイストの中井貴惠さんです。

中井貴一さんは、いまや日本を代表する俳優ですから、説明する必要もないかもしれません。

映画の代表作では、『連合艦隊』『ビルマの竪琴』『キネマの天地』『激動の1750日』『四十七人の刺客』『マークスの山』など。

ドラマでは、やはり『ふぞろいの林檎たち』を筆頭に、主演した大河ドラマ『武田信玄』などが思い浮かびます。

【画像】中井貴一の母親が美しい!益子は小津安二郎も憧れた看板娘?

それでは、そんなトップスターである佐田啓二さんの妻、つまり中井貴一さんのお母様はどんな方だったのでしょうか?

以前、出演した番組『ぴったんこカンカン』で女優・冨士眞奈美さんとこんな会話を交わされていました。

冨士さん「貴一さんのお母様って大船(撮影所)のマドンナだったのよね?」と発言すると、中井は「マドンナというか食堂の娘です」と回答。

そう、中井貴一さんの母親の益子さんは、大船撮影所近くの食堂の看板娘でした。

しかも、相当の美人であの小津安二郎監督をはじめ、みんなが憧れていたほどだったそう。

こんなエピソードも。

中井は「原節子さんの髪型あるじゃないですか、『シニョン』。あれはうちのお袋の髪型なの。最初に原さんが映画にお出になるときに、(小津監督が)メイクさんを呼んで『原くんの髪の毛は益子(中井の母親の名前)にしてくれ』って」と映画の舞台裏を明かしていた。

「いまの週刊誌みたいなのが昔にあったら、小津先生と母は噂になっていたと思いますよ。そのぐらい可愛がってくださって」

中井貴一さんは、のちに母親に「小津安二郎さんとなんかあったの?」と尋ねたそう。当然、「なにもなかった」という答えが返ってきたということです。

お父様とお母様のなれそめも、佐田啓二さんがその食堂に通い詰めたこと。

「うちの父は当時、小津先生なんかに近づけなかったんですよ。母も京都出、父も京都出。(大船撮影所で)京都弁が話せるのが強烈に嬉しかったんでしょうね。母に引き寄せられるように食堂に行くんです」

しかし、そこは小津監督の行きつけ。そこで中井の父親は、小津監督が来る前に食堂に行き、いざ監督が来るとバレないように勝手口から出て撮影所に戻っていたという。

結婚を決めた際も、佐田さんが小津さんに「益子さんと結婚したいのですが」と許しをもらいにいったそうで、「もちろん」とまるで花嫁の父と婿のような場面があったそうです。小津さんは快く、結婚式での仲人役を引き受けてくれました。

「貴一」という名前も、小津安二郎さんがつけてくれたそうです。

そんな中井益子さんのご写真がこちらです。当時の女性にしては珍しく、身長が170センチあったそう。スタイルもよくて、本当に美しい方です。

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【画像】中井貴一の母親は女手一つで厳しく優しく子育てを!

母子で病床の小津安二郎さんのお見舞いへ

しかし1964年の夏、中井さんが2歳11カ月の時に、佐田さんは車で仕事に向かう途中、交通事故で死亡してしまいます。

原因は運転手の居眠り運転でした。

大黒柱を失った益子さんは、貯金を切り崩しながらひとりで貴惠さんと貴一さんを育てることに。女手ひとつということで、とても厳しいお母さんだったそうです。

「本当に厳しい母でした。DVまではいかないけど、手の早い母だった。170センチあったから手も長くて、姉も僕も食事の時も常に(叩かれないよう)臨戦態勢でした」と中井。「父の分もという(育児への)意識が強かったのでしょう」と続けた。

引用元:https://hochi.news/articles/20180110-OHT1T50102.html

さらに、貴一さんが大学在学中に役者デビューを果たしたときにも、こんなふうに言われたそうです。

「姉もすでにデビューしていたし、『俺には(父・啓二さんの)七光りは関係ないよ』と言ったら、母が烈火のごとく怒ったんです」と明かした中井。「佐田啓二という名前は、そんなに軽いものじゃない。どんなにあんたらが(俳優を)やろうが、親父の名前が(後ろで)光ることは絶対ない。悔しかったら、やってみろって母に言われました」

引用元:https://hochi.news/articles/20180110-OHT1T50102.html

その後、中井さんが「ふぞろいの林檎たち」、「武田信玄」、映画「ビルマの竪琴」といったヒット作品に次々と出演しても、益子さんは「俳優として、まだまだ」と一切褒めてくれなかったといいます。

しかし、中井さんは、そんな厳しいお母様や、若くして亡くなったお父様に対して深い感謝の念を示していました。

「今、やってきて、自分なんかが俳優やっていられるのは、オヤジとオフクロのおかげなんだろうと思います。自分の実力なんて1くらいで、オヤジが遺してくれたものが、ほとんどを占めているんじゃないかと思います」

引用元:https://hochi.news/articles/20180110-OHT1T50102.html

そんな中井益子さんも、3年前に他界。天国で佐田啓二さんと再会を果たしていることでしょう。

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まとめ 【画像】中井貴一の母親が美しい!益子は小津安二郎も憧れた看板娘?

中井貴一さんの父は俳優の佐田啓二さん、母は一般人であった益子さんです。

益子さんと佐田啓二さんの出会いは、大船撮影所近くの食堂。益子さんは、映画監督も憧れるほど美しい看板娘でした。

益子さんは佐田啓二さんが事故で亡くなられた後、女手ひとつでふたりのお子さんを育て上げました。

とても厳しいお母様だったそうですが、中井貴一さんはその深い愛情をしみじみと感じていらっしゃるようです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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