ジャニー喜多川さんが病院に救急搬送されて、なかなか詳細が発表されていなかったので、入院中に死亡説も流れるほどでしたが、病院で闘病中ということでした。
【文春】ジャニーさん死去はデマ?発表しないのは誰の脱退を防ぐため?しかし、残念ながら、7月9日ジャニー喜多川さんが逝去されたというニュースが飛び込んできました。
日本の男性アイドルの系譜をつくりあげた偉大な人物がいなくなり、芸能界の歴史の大きな節目になった気がします。
だれもが名前を知っているほど著名な方にもかかわらず、ジャニーさんの顔写真が極端に少ないのはなぜなのでしょう?
数少ない写真を見ると、若い頃はイケメンだったと思われるのですが。表に出られない理由があったのでしょうか?
今回は、ジャニーさんの顔写真が極端に少ない理由を探ってみました。
【画像】ジャニー喜多川の顔写真は?若い頃はイケメン?
ジャニーさんは、よほどこだわりがあったようで、ご自身の写真をほとんど残していません。
ただ、一度、正式にメディアに掲載するために撮影した写真がこちらです。
2011年9月に、「ギネスブック2012年版」に掲載されることが決まり、その掲載には写真が必須だったので撮り下ろしたそうです。当時79歳。
ギネスブックは当時、ジャニーさんを「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」として、2000年から2010年まで計8419公演を手掛けた世界記録を紹介しています。また、「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」にも認定しています。
また、ギネスブックの認定やそれを足掛かりにした海外進出への思いについてこう語っています。
世界記録の認定はギネス社側から打診があり、2010年夏に申請。「世界一」と認定されたことに対して、ジャニーさんは「80年間のショービジネスに懸けた人生が立証されたような喜びを感じる」と感激していた。また、「これだけのショービジネスをやっている人は世界でもいない。記録が超えられることはないんじゃないかな」と自負していた。
一方で「ギネスに認定されることは外国のショービジネスで権威付けになる」と捉えて、所属タレントの海外進出の足掛かりにする戦略も描いた。「(自身がプロデュースする)作品をラスベガスに持って行きたい」と強い意欲を見せ、「海外進出に向け、命ある限りやっていきたい」と語っていた。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000269-spnannex-ent
目深にかぶった帽子とサングラス。ヘアスタイルも目の表情もほとんどわかりません。隠し撮り以外の写真が公になったのは初めてだったそう。
隠し撮りされるのを嫌っていて、このとき、冗談まじりに「(掲載に)OKを出したのは初めて」と話して、記者たちにジョークを飛ばしていたそうです。
その他はこのように隠し撮りされた写真がほとんど。
ジャニーさんは、かつてビートルズのマネージャーがメンバーとともに公の写真に写っている写真を見て、裏方が表に出るのはカッコ悪いと感じたそう。
以来、ジャニー喜多川さんは自らの「哲学」として顔写真を撮ることを避けてきたようです。
ちなみに、こちらがジャニー喜多川さんの若い頃の写真といわれている3枚です。なかなか精悍なイケメンではないですか?
ジャニー喜多川が表舞台に出ないもう一つの驚きの理由とは?
そして、ジャニーさんの顔写真が極端に少ないのには、もうひとつ驚きの理由がありました。
それは、彼のショービジネスへの熱い思いにあったのです。
ジャニーさんは、かつて自身の存在について、こんなふうにコメントしています。
《キャリアから言って僕は、芸能界のシーラカンスだと思っています。シーラカンスは姿を見せない。見せる必要はないんですよ》
引用元:https://www.jprime.jp/articles/-/15591
ジャニーさんの生い立ちは謎に包まれています。アメリカ・ロサンゼルスで日本人夫婦のもとに生まれ、日米両国の国籍を持っています。
アメリカというショービジネスの本場に縁があるせいか、彼とショービジネスとの出会いは早かったようです。過去の雑誌のインタビューで、ジャニーさんはこう語っています。
《僕は最初からマネージャー志願者でね。タレントになりたいとか考えるより以前に、マネージャー業みたいなことをやってましたんで。とにかくショービジネスをしたいと。中学生くらいのころから裏方はずいぶんやりましたよ》
なんとジャニーさんは子どものころから、日本からアメリカにやって来た日本の芸能人の通訳兼コーディネータ―として活躍していたようです。
少女時代の美空ひばりさんを始め、たくさんの日本人タレントとのお付き合いがあったそうで、ジャニーさんの芸能界での原点はここにあるのですね。
その後、1962年、ジャニーさんがジャニーズ事務所を創業。1964年には、事務所初のグループ『ジャニーズ』が誕生し、数々のヒット曲を飛ばして日本の芸能界に新風を吹き込んでいます。
男の子たちの原石を見抜く方法も独特。
SMAPもTOKIOもジャニーさんは、1対1でオーディションをしていたそうです。
履歴書を送ってきた子どもが集められて、目の前にひとりの男性が現れる。そして、「子どもたちが最初“誰、このオジサン?”」と思っていると、それがジャニーさんで、突然“これからオーディションやります”と言うそうです。
そのリアクションで、裏表がある子なのかどうかを見極めていたというのです。
ジャニーさんが、自身を“シーラカンス”と表したたように、ほとんどメディアに露出しなかったのは、こうして才能のある子どもを見抜くために、大物であるにもかかわらず自らを「知らないおじさん」としてプロデュースしていたのではないでしょうか?
もし、ジャニーさんの顔がその筋で有名で誰もが知っている人であれば、子どもたちも素の姿をさらすことはなかったでしょうから。
ジャニーさんの写真が極端に少ないのは、こうしたショービジネスへの熱い思いと、徹底したプロ魂だと感じました。
ジャニー喜多川の葬儀(家族葬)に新しい地図は?出席を望む声が殺到!まとめ 【画像】ジャニーさんの顔写真は?表舞台に出ない驚きの理由とは?
数々のアイドルを生み出し、プロデュースしてきたジャニー喜多川さんがお亡くなりになりました。
これほどの大物でありながら、極端に顔写真が少ないのは、ご本人が写真嫌いということもありました。
しかし、そこにはさらに名プロデューサー、名裏方としての哲学や思いがあったのだと感じています。
ジャニー喜多川さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
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