凛としていて上品な雰囲気が漂う鶴田真由さんはどのようなご家庭で育ったのでしょう?
鶴田真由さんの父親が、俳優の鶴田浩二さんという噂がありますが、それは真実ではありません。
鶴田さんのお父様は一般企業に勤めるサラリーマンです。
また、そのご両親の実家は大変な名家のよう。鶴田真由さんのルーツを探っています。
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鶴田真由は鎌倉生まれ。現在は親善大使も
本名 中山 真由
生年月日 1970年4月25日(50歳)
出生地 神奈川県鎌倉市
学歴 成城学園高校、成城大学文芸学部
身長 156cm
血液型 O型
事務所 オフィスマイティー
1988年、ドラマ『あぶない少年Ⅱ』で女優デビュー。
以後数々のテレビドラマや映画で活躍、「お嫁さんにしたい女優」にもたびたび選ばれています。
2000年、鶴田さんがニューヨークで長期休暇を過ごしている際に、現地で芸術家の中山ダイスケさんと知り合い、交際スタート。
2001年12月には中山さんと結婚。
旅好きでも有名で、番組の取材などでアフリカを訪れたことがきっかっけで、アフリカ開発会議(TICAD)親善大使の経験も。
また、出身地である鎌倉市の観光大使も務めています。
鶴田真由の父親は三菱電機デザイナー!
母親も美大出身!
鶴田真由さんの実家は、現在も鎌倉にあるようですね。
家族構成は、両親と鶴田真由さん。
兄弟姉妹の情報は見つからなかったので「ひとりっ子」の可能性も高そうです。
そんな鶴田真由さんのご両親は美大出身。
お父様は三菱電機でデザイナーをしていたとご本人が語っています。
年齢的にも現在は定年退職しているのではないでしょうか。
仕事がら、鶴田家の家電は全て三菱電機。
ビールはキリン(三菱系)、銀行も三菱と、家電以外も「三菱」にこだわりがあったそう。
さらに、北欧のデザインに憧れがあった父親が、実家も設計したということ。
根岸吉太郎監督、近藤亜樹ちゃんと鎌倉の家でランチ。結局根岸さんとは大学やブラジル戦の話。 pic.twitter.com/Ui3vmOooK1
— 中山ダイスケ(中山大輔) (@daisukemonkey) June 16, 2013
緑豊かな、かなりおしゃれな家ですね。
お母様の情報はあまりありませんでしたが、テレビ番組で公表した写真はかなりの美人。
父親と同じく美大出身で、子供の頃の洋服は母親の手作りだったそう。
鶴田真由さんののインスタグラムからあふれる美的センスは、生まれ育った環境の影響なのでしょうね。
子供の頃の家族の思い出は?
鎌倉に生まれ育ち、今も週末はほとんど鎌倉で過ごすという鶴田真由さん。
住み心地が良すぎて、親戚が同じ敷地に住んでいるそう。
故郷・鎌倉の魅力をこんな風に語っています。
時間の流れ方、かな。東京とは時間の流れ方が全然違いますね。
それと、こちらの友人達はみんないい感じに力が抜けています。
湘南の人たちって、楽しく生きることを知っている気がするんです。
海が近いせいかな、ケセラセラ・マインドで生きている。
ま、どうにかなるさ、って。そこは本当に好きなところです。
引用元:http://brisa.jp/special/tsuruta_mayu.html
子供の頃の、家族の思い出は、午前中に葉山から先のほうへ朝ごはんをもって泳ぎに行ったこと。
そのあたりの海は静かで、朝はさらに気持ちがいいので、地元の人は朝か夕方に海にいくそう。
鶴田真由さんの自然体な生き方は、鎌倉で育まれたようですね。
鶴田真由の両親実家の先祖は新選組と名旅館
そんな鶴田真由さんの両親の家系がこれまたスゴいようです。
父親実家の先祖は別府の旅館
父方のルーツは大分・別府。
明治の初め、4代前の高祖父が、ある理由で武士の家を出て、網本をになり、東九州一の規模に。
その後、さらには温泉旅館を始めました。
鶴田家は、地元ではかなりの名家として知られています。
こちらが、鶴田真由さんの父親の実家ということ。
地元の人ならだれでも知っているからでしょうか、表札がありません。
そして、その隣にそびえたつのが経営する旅館「ホテル ニューツルタ」です。
日本を代表する温泉地随一の旅館です。現在は鶴田真由さんの叔父が経営しているという情報もありました。
鶴田さんもたびたび訪れているようですね。ホテルでも「縁深い」と紹介していました。
母親実家の先祖は新選組!
さらに母方のルーツも由緒正しいようです。
NHK『ファミリーヒストリー』では、鶴田真由さんの母方の先祖に新選組の隊士がいたと紹介しています。
元桑名藩士で、主君を守るため新選組に入り、最期は切腹したということで、森常吉さんのことだと思われます。
桑名藩士・小河内殷秋(ただあき)の長男として生まれ、子供に恵まれなかった伯父の森家を継ぐ。
新選組に入隊し、箱館戦争に参戦、1869年早々、新選組頭取改役(隊長)に任命される。
箱館戦争終結後に投獄されたが、1869年11月13日、刑部省から桑名藩に引き渡され、藩主・定敬を守るため全責任を負って旧藩邸で切腹を申付けられる。享年44。
墓所は東京都江東区の霊巌寺、三重県桑名市の十念寺にあるということ。
5月28日 三十一人会の史跡散歩 ③
【霊厳寺】
桑名藩松平家の菩提寺。桑名藩士森常吉さんのお墓もある。
上野、箱館と戦い続けた森さんは藩の全責任を負って処刑される。辞世の句は「うれしさよ つくす心の あらわれて 君にかわれる 死出の旅立」
最期まで、定敬くんのことを思う森さん。 pic.twitter.com/1CNykspTjc— いっしー (@umanorisan) June 1, 2017
鶴田真由さんは、別府の名家と、新選組の隊士に祖先を持つということ。
凛とした品が漂う鶴田さんのルーツに納得です。