日本を代表する女優の八千草薫(やちぐさ・かおる)さんが逝去されました。
八千草薫さんといえば、「日本の母」というイメージですが、実生活ではお子さんはいらっしゃらなかったようです。
その理由はどうしてなのか。考えられる可能性についてまとめてみました。
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八千草薫さんの旦那は谷口千吉監督!馴れ初めは?
八千草薫さんは、1957年7月に映画監督の谷口千吉さんと結婚しています。
生年月日 1912年2月19日
出身 東京都
学歴 早稲田大学文学部英文科中退
趣味 登山
1947年の山岳アクション映画「銀嶺の果て」が娯楽作品として高く評価され、1949年「ジャコ万と鉄」、1950年「暁の脱走」と、立て続けにヒット作品を世に送り出しています。
ふたりの馴れ初めは、谷口監督がメガホンを取る映画「乱菊物語」(1956年)に、宝塚歌劇団に在籍していた八千草さんが主演したのがきっかけでした。
厳しく演技指導をする谷口監督に、八千草さんは次第に魅かれていったそうです。
八千草さんのお若い頃、本当に美しいです。どんな男性も心を奪われてしまいそうです。
しかし、当時、谷口監督には妻がいました。女優の若山セツ子さんです。
ところが、「乱菊物語」がクランクアップしてすぐに、谷口監督は若山さんと離婚。
すぐに八千草さんとの交際が始まります。女手ひとつで八千草さんを育てたお母親はこの交際に猛反対。
なにせ、谷口監督には若山さんの前にも、「浮雲」「また逢う日まで」「ひめゆりの塔」を手がけた人気脚本家の妻がいて、つまりは「バツ2」ということだったのです。
しかし、周囲の猛反対が火をつけてしまったのでしょう。
ふたりは反対を押し切り、1957年にゴールイン。
谷口監督は、結婚披露宴でこんな風に語ったそうです。
三度目の正直ということがありますから、今度は長く続くでしょう。
その言葉通り、谷口監督が2007年10月に95歳で逝去されるまで、半世紀もの間、ふたりは仲良く夫婦として添い遂げました。
八千草薫さん子供がいない理由は?夫を若山セツ子から略奪したから?
谷口監督は、妻の送り迎えをするために、68歳でクルマの免許を取るなど、夫婦仲はとてもよかったようです。
それほど仲がよかったふたりには、子供がいません。その理由はなぜなのでしょう?考えられる可能性をまとめてみました。
原因①八千草薫さんの女優魂?
実は、穏やかな雰囲気の八千草さんですが、女優の仕事ひとすじでここまで歩んできたようです。
’47年に宝塚歌劇団に入団してからすでに72年。ほとんど仕事を休んだことがないという
引用元:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1713943/
そんなふうに言われるほど、若いころから結婚後も仕事に没頭。
2019年に2月に事務所のHPを通じてがん闘病と仕事の休止を公表した直後にも、なんと4月スタートのドラマ『やすらぎの刻~道』には出演すると発表。
八千草さんの熱意に応えて、脚本の倉本聰さんは台本を大幅に書き換えたのだといいます。
「ちょっとゆるやかに、でも少し無理をして」を信条としている八千草はインタビューなどでも“できる限り仕事は続けていきたい”と語っており、さらにHPでも次のようにつづっている。
《また番組を楽しみにして頂いておりましたファンの皆様には体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加できるように帰って参ります》
引用元:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1713943/
体調を崩しても、なお新たな役への熱意を見せる八千草さんの女優魂。
旦那の谷口さんも、その八千草さんの仕事への熱意を尊重して、子供をつくらない選択をしたのかもしれません。
原因②ふたりの年齢差や病気?
八千草薫さんは1931年生まれ。谷口監督は1912年生まれ。
ふたりには19歳もの歳の差があり、結婚した当時、八千草さんは26歳、谷口監督は45歳ということになります。
世の中には70歳になっても、若い妻との間に子宝に恵まれる男性もいますが、一般的には40代半ばからの子づくりは困難だったのかもしれません。
さらに、谷口監督が若い頃にマラリアにかかったのが原因という説もあります。
原因③若山セツ子からの略奪婚や不倫?
実は、ふたりが結婚した当時、谷口監督のあまりのスピード離婚&スピード再婚に世間では「八千草さんの略奪婚では?」と噂が流れたことがありました。
谷口監督が前妻である若山セツ子さんと離婚したのが1956年。八千草さんとの再婚が1957年だったからです。
1957年からの3年間、谷口監督は業界を干されてしまったことも、「略奪婚が事実だったのでは?」という信ぴょう性を増してしまいました。
そしてタイミングが悪いことに、谷口さんと離婚した若山さんには、不幸なことが立て続けに起こってしまったのです。
心身ともに体調を崩し、メンタル的にも離婚のショックが大きかったのか「奇行」が目立つように。
それがきっかけで1961年に若山さんは女優業を引退。一度は復帰するものの、1973年に出演した作品を最後に芸能界を去ります。
さらに、1984年に母を亡くしてから精神状態が悪化。精神病院に強制入院させられてしまします。
そして、その1ヶ月後の1985年5月9日、病院内で自ら命を絶ちました。享年55でしたが、80代としか思えないほどのやつれぶりだったといいます。
法的には谷口さんと若山セツ子さんは離婚したといえど、どこか気にかかってしまうことがあったのではないでしょうか?
若山さんの奇行が目立ち、一度、女優を引退したのが結婚3年後。その騒動のさなかで、八千草さんと谷口さんも、子供をつくることについて、なにか思うところがあったのかもしれません。
八千草さんと谷口監督は、子供には恵まれませんでしたが、生涯「おしどり夫婦」を全う。
ふたりとも動物が大好きで、本当の子どものように飼い犬をかわいがり、八千草さんも亡くなる直前まで犬と猫と生活していたようです。
八千草薫さん プロフィール
本名 谷口 瞳(たにぐち ひとみ)
旧姓 松田 瞳(まつだ ひとみ)
生年月日 1931年1月6日
没年月日 2019年10月24日(88歳没)
出身地 大阪府
昭和22年、宝塚歌劇団に入団。26年に映画「宝塚夫人」で脇役としてスクリーンデビュー。
32年に歌劇団を退団し、映画監督の谷口千吉氏と結婚。
その後も「男はつらいよ・寅次郎夢枕」「田園に死す」「ハチ公物語」などに出演。
良妻賢母の役がのイメージが強かったが、「岸辺のアルバム」(52年、山田太一脚本)では不倫に走る妻を演じ、役の幅を広げた。
最近も平成18年のドラマ「白夜行」などに出演。
2009年に紫綬褒章、2015年には旭日小綬章受章。
まとめ 八千草薫さん子供がいない理由は?夫を若山セツ子から略奪したから?
日本を代表する女優・八千草薫さんが亡くなりました。
「日本のお母さんの象徴」ともいわれる八千草さん。実生活ではお子さんはいませんでした。
その理由は、おふたりにしかわからないものですが、さまざまな視点からまとめてみました。
八千草薫さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。