9月18日放送の『そこの〇〇止まりなさい!』に、「まさかの転身を果たした元タカラジェンヌ」が登場します。
遠山昌子さんという方で、宝塚時代は男役の遥海おおらという名前で活躍していたそう。
しかも、現在、遠山昌子さんは赤城フーズという「国民的おやつ」をつくっている社長なのです。
そこで、遠山昌子さんはどんな方なのか、宝塚の退団理由や男役時代のレア写真をご紹介します。
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【画像】遠山昌子は元宝塚!現在はカリカリ梅の赤城フーズ社長!
生年月日 1979年9月26日
出身 群馬県前橋市
学歴 群馬県立前橋女子高等学校出身
身長 168cm
血液型 A型
職業 赤城フーズ代表取締役社長
小さい頃から、宝塚歌劇団に憧れ、宝塚音楽学校を受験。しかし、3回は不合格。
高校時代は前橋から東京まで毎日往復5時間かけてレッスンに通い、受験資格のラストチャンスとなった18歳のときに24倍の難関を突破して合格を果たしました。
そして、2000年に宝塚に入団。宙組(そらぐみ)の男役で「遥海(はるみ)おおら」という芸名で活躍。
決して器用なタイプではなく、音楽学校時代最期の試験では同期43人中、32番。
しかし、歌劇団に入ってからは休日返上で猛レッスンを続け、徐々に役が付くようになっていった根性の持ち主です。
遠山昌子(遥海おおら)の宝塚退団理由が泣ける!
順調に役も付き始めた頃、転機が訪れます。
実は、遠山さんの実家は赤城フーズという会社なのですが、あの「国民的おやつ」カリカリ梅を開発した祖父の持病が悪化。
会社ではお父様が孤軍奮闘していましたが、6代目を継ぐはず2人の兄はすでに別の道に進み、「跡取り」が不在の状態だったのです。
大切に育ててきた祖父の会社を終わらせたくない…。
遠山さんは、迷いに迷った末、2005年、25歳で宝塚を退団。父を助け、将来は跡を継ぐ決意で赤城フーズに入社したのです。
高卒の遠山さんには経営の知識も経験もなく、最初はとても苦労したそうです。
そこで通信制の大学で経営学を学び、次期社長としての手腕を養っていったといいます。
そして、2009年には自身が開発した熱中症対策に塩分を高めにした「熱中カリカリ梅」が大ヒット。
2015年にはご自身の経歴を生かした新商品「梅ジェンヌ」も発売。宙組創設20周年を迎えた2018年から、東京宝塚劇場でもカリカリ梅が置かれているそうです!
ちなみに現在は、ご結婚されていて9歳と7歳のふたりのお子さんのお母さんでもあります。
【画像】遠山昌子の遥海おおら(はるみおおら)時代レア写真!
そんな遠山昌子さんの宝塚時代、遥海おおらさんの写真、見たいですよね。
25歳で退団してしまったということで、なかなか見つからなかったのですが、なんとか探してみました。
華やかでとてもおきれいですね。メイクが映えます。
こちらは、すっぴんでの写真ですね。
さらに、こちらが最近カラオケバトル番組に出演したときの遠山さん。バックには宝塚時代の映像が見られます。
そして、これが「テレビタックル」で紹介されたときの写真。凛々しいです。
いまではすっかり女性らしく?なられた遠山さんですが、さすが宝塚時代はイケメンです。
そのまま続けていたら、きっとスターになっていたのではないでしょうか?
【画像】遠山昌子は元宝塚!カリカリ梅社長の遥海おおら時代レア写真!
9月18日放送の『そこの〇〇止まりなさい!』に、あの国民的おやつ「かりかり梅」を製造する赤城フーズの女性社長遠山昌子さんが出演。
実は遠山さんは、元タカラジェンヌで宝塚時代は男役の遥海おおらという名前で活躍していました。
そんな遠山さん、祖父の志を継ぐために宝塚を退団。会社を継ぎ、ヒット商品を生み出してきたそうです。
カリカリ梅、おいしいですよね。これからは食べるたびに、宝塚のことも思い出しそうです。