樹木希林と本木雅弘の関係が素敵!息子でもあり『戦友』でもあった?

2018年10月に壮絶な人生の幕を閉じた樹木希林さん。

告別式の際には、娘婿である本木雅弘さんが希林さんの最後の様子を語っていたのが印象的です。

本木雅弘さんは、樹木希林さんと内田裕也さんの娘である、内田也哉子さんの夫。つまり娘婿です。

しかし、樹木希林砂さんと本木雅弘さんには、それ以上の強い「絆」と呼べるものがあったようです。

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樹木希林の娘・内田也哉子の旦那が本木雅弘!ふたりの馴れ初めは?

内田也哉子さんは、1976年、内田裕也、樹木希林の一人娘として東京に生まれます。

都内のインターナショナルスクールに入学し、9歳の時1年間ニューヨークへホームステイの後、都立高校2年で再び、スイス、ジュネーブのインターナショナルスクールへ留学。

ふたりが出会ったきっかけは、本木さんが海外の映画賞を取材する番組に、語学堪能な内田也哉子さんが通訳として同行したときのこと。

本木雅弘の彼女に対する第一印象は「ルックスは若いのに、しぐさとかたたずまいが大人みたいでアンバランスな感じ」だったという。

なんと、このとき也哉子さんはまだ16歳。本木さんとの年の差は10歳。

本木さんからアプローチしたようですが、内田也哉子さんが海外留学中だったので、しばらくは手紙でやりとりをして愛を深めていったそうです。

そして、也哉子さんが17歳の時にプロポーズして、結婚。プロポーズの言葉がとてもよいのです。

「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。 今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」

3人のお子さんにも恵まれています。ドラマチックな馴れ初めですよね。

樹木希林が本木雅弘を婿養子に!養子縁組にこだわった理由は?

本木雅弘さんは、「内田家」に婿入りしています。いわゆる、マスオさん状態。なので、現在の本名は内田雅弘さんになります。

本木さんが婿養子に入った理由は、樹木さんが本木さんに「内田の姓を残したいから」と頼み込んだ末のことだったそうです。

実は希林さん、也哉子さんが子供のときから、ずっとこう言い続けてきたそうです。

「自分たち夫婦が死んでも、也哉子がお嫁に行ってしまったら、供養してくれる人がいなくなると。それで『あなたはお墓の永代供養しないといけないんだから、結婚相手は長男はダメよ』と、也哉子にずっと言い含めておいたんです」(『文藝春秋』’07年5月号より)

也哉子さんも、その教えを守り、プロポーズを受けたときは「うちは養子じゃないとダメだから」と本木さんに伝えたそうです。

本木さんは、樹木さんが生前に購入した港区・光林寺の「内田家代々の墓」の墓守を快く引き受けました。

さらに、婿養子にこだわった理由はそれだけではなく、膨大な不動産を都内に持ち、やがてそれを也哉子さんたちに相続することを考えた「節税対策」でもあったそうです。

相続税は課税価格が増えれば増えるほど税率も上がりますが、その分相続人1人あたりの控除額も増えていきます。

樹木希林さんの総資産額はわかりませんが、仮に資産が10億円だった場合、本木さんが「養子」になることで3900万円ほどの節税効果があるそうです。

樹木希林さんは、不動産情報誌を愛読するほど不動産好きで、都内にいくつものマンションや戸建てを所有していました。

これらの相続について、「子供たちに迷惑をかけないように」と生前、本当にきっちりと手続きをされてから亡くなられたそうです。

経つ鳥後を濁さず。本当にかっこいい女性ですね。

本木雅弘は樹木希林の本当の息子ともいえる?

実は離婚をしても養子縁組は「離縁手続き」を取るまで続くそうです。

婿養子は単なる婿に比べ、かなり家との密接な関係が生じるということです。

樹木希林さんにとって、本木雅弘さんは本当の「息子」と思えるほどの存在だったのでしょう。

本木さん夫婦に、2人の子供が生まれたタイミングで、都内に3階建ての二世帯住宅を新築。

「“年齢の幅の広い家族は子供にいい影響を与えるから、一緒に住まない?”」と樹木さんが本木さんに提案して、同居も始めたそうです。

2012年に公開された映画『わが母の記』の“母の日”舞台あいさつに、樹木希林さんが登壇したときは、サプライズで本木雅弘さんが登場。樹木さんに花束を渡す場面があったそうです。

本木の登場をまったく知らされていなかった樹木は「うわぁ、何!?」とうろたえながらも、孝行息子の優しさに感極まった様子。うっすらと涙を浮かべ「私だけじゃなく夫(内田裕也)の面倒も見てくれてるし、頭が上がらないです」とテレ笑いを浮かべた。

引用元:https://matome.naver.jp/odai/2153713116438408901?&page=2

本当の母子のよう。ふたりのやさしい表情が目に浮かびます。

一度は西麻布に自らの豪邸を建て、ひとり暮らしに戻った樹木希林さんも、なくなる直前は病院からかつて暮らしていた二世帯住宅に移り、穏やかな時間を過ごしたそうです。

樹木が死の支度を託しているのが娘婿の本木雅弘(47)だ。01年に都内に構えた二世帯住宅の1階部分に樹木が、2階部分に本木が住んでいる。

樹木は本木に亡くなった後のことも一通り話ししてあるそうだ。すでに遺書も書き、本木に全幅の信頼を寄せて、死の準備を進めているそうです。

樹木は冗談まじりに「うちには、おくりびとがいるので安心して去れます」と語っていた。

ご病気による身体の痛みなどは本当につらかったと思いますが、最期は信頼できる娘夫婦やかわいい孫たちと一緒に暮らすことができて、希林さんも幸せだったのではないでしょうか。

本木雅弘さんは、法律的にも、そして精神的にも、樹木希林さんにとって「頼れる息子」だったのだと思います。

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樹木希林と本木雅弘は『コンビ』でもあり『戦友』でもあった?

そんな樹木希林さんと本木雅弘さんが、二世帯住宅での暮らしぶりを語っていたことがありました。

本木雅弘さん主演の映画「永い言い訳」のトークイベントに樹木希林さんがゲストとして参加したときのこと。

ふたりでお皿を洗ったエピソードを披露。樹木希林さんのやり方を、本木さんが守らずついイライラしたなんて笑いながら語ってました。

まるで仲のいいコンビのようです。

コンビといえば、こんなエピソードも。樹木希林さんと本木雅弘さんが豪華な二世帯住宅を建てたときのこと。内田さんが殴り込んんできたそうです。

ある日、土足で入ってきて「てめぇ、俺が家賃払うのにも困ってるのにこんな家を建てやがって」と文句を言った内田に対して、樹木が娘婿の本木雅弘に「やっちまいな」と命令。

すると、内田めがけて本木がタックル。タックルで抑えたところで、樹木がなんと、鉄パイプでボコボコ殴ったんだそう。そんな恐ろしい夫婦喧嘩に対し、内田は『一歩間違えれば殺人事件だよ。リンゴ殺人事件だよ』とギャグにしてるんだとか。
(引用元:https://www.newscafe.ne.jp/article/2011/04/27/789789.html)

樹木希林さんがテレビ番組で、このときの真実を語っていました。

実際は、鉄パイプを隠し持った程度で殴ったりはしなかったそうですが、本木さんが樹木さんの指示で内田さんを「とりおさえた」のは本当のようです。

そういう意味では、樹木希林さんと本木雅弘さんは、一緒に内田裕也さんと闘った「戦友」のような関係でもあったのではないでしょうか?

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樹木希林と本木雅弘の関係がイイ!息子でもあり『戦友』でもあった?

2018年に惜しまれながら世を去った、女優の樹木希林さん。

同じ役者である娘婿の本木雅弘さんとは、単なる婿以上の、深い絆があったように思えます。

それは、ときに本当の息子のようであり、仲のいいコンビのようであり、そして「戦友」でもあったのかもしれません。

そんな話をしているうちに、樹木希林さんの出演した映画をもう一度見返したくなりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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