7月12日放送の「音楽の日」に、歌手の麻倉未稀さんが登場します。
舞台は東日本大震災からの復興のシンボルとして作られた岩手県釜石市の釜石鵜住居(かまいしうのすまい)復興スタジアム。
今年アジアで初開催となるラグビーワールドカップ2019日本大会の会場になるスタジアムからの中継で、あのTBSの名作ドラマ「スクール☆ウォーズ」の主題歌「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」を熱唱してくれるのです。
久しぶりに麻倉さんの唄が聴けるのが、とても楽しみですが、実は朝倉さんは乳がんを患っていたということを知りました。
そこで、今回は麻倉未稀さんの乳がん発見時のエピソードやステージについて、そして偶然にも麻倉さんの手術の日に亡くなった小林麻央さんへの思いをまとめました。
麻倉未稀が乳がんステージ2を克服!発見はテレビ番組だった!
麻倉未稀(アサクラミキ)
- 誕生日 1960年7月27日(58歳)
- 星座 しし座
- 出身地 大阪府大阪市
- 血液型 B
麻倉未稀さんの左胸に乳がんがあると分かったのは2017年4月。
テレビ番組の企画で受けた検診によって判明したといいます。驚くとともに、つらかったのが「治療法を決めるのに必要な、がんのタイプが判明するまで」と麻倉さんは語っています。
病気は公表するのか、仕事はどれくらい休めばいいのか。先が見えない状況で、精神的にも追い込まれていたのでしょう。
麻倉さんは「夫の前で一度だけ大泣きした。夫はただ驚いていた」と当時を振り返っています。
麻倉さんの乳がんは、病理検査の結果、進行度を示すステージ4段階の「2」でした。
ステージ2a期/しこりの大きさが2cm以下で、わきの下のリンパ節への転移がある場合、またはしこりの大きさが2~5cmでわきの下のリンパ節への転移がない場合。
ステージ2b期/しこりの大きさが2~5cmでわきの下のリンパ節への転移がある場合。
引用元:http://www.nyu-gan.jp/symptom/stage.aspx
1か月後には手術を受けることに。医師から左乳房の全摘出と同時再建手術を勧められ、「その場で決断した」といます。麻倉さんは、胸はなくなっても、歌は歌い続けられると自分を勇気づけたそう。
なんと、手術の3週間後にはステージに立っています。そのときの心情やリハビリについて、こう語られていました。
私も無謀かなと思ったんですが、主治医の先生に相談したら、「術後3日は歌えないけど、1週間したら歌えるんじゃない」って言われたので、トレーニングを頑張りました。
体幹のトレーニングですね。入院中も無理を言って行っていました。退院後も欠かさずに続けたおかげでなんとか本番3日前に、リハーサルを行えました。
でも、正直、ステージに立つという目標があったからいろいろ決断できたし、頑張れたんだと思っています。
私の場合、歌は、今後の自分の人生をどのように生きていくかにおいて、重要なものでしたから。
術後の治療法も、私の場合は、がんのタイプが、偶然にもホルモン治療のみのものだったので、これは〝先に進むしかない〟なって。引用元:https://postpet.jp/momonavi/pinkribbon/momo_18032702.html
麻倉さんの場合は、術後の治療が抗がん剤や放射線治療ではなく、ホルモン治療のみだったので復帰も早かったようです。
それにしても、本当にポジティブな姿勢を尊敬します。麻倉さんにとって、歌うことは生きること。またステージに立ちたいという思いが、大きな決断の背中を押し、元気ないまの姿に繋がっているんですね。
麻倉未稀の乳がん手術の日に亡くなった小林麻央への思い
そして、奇しくも麻倉未稀さんの乳がん手術の日は、おなじ乳がんで闘病していた小林麻央さんが亡くなった日だったというのです。
そのことを、麻倉さんはベッドの中で知って、衝撃を受けたそうです。「自分ももし発見がもうすこし遅れていたら…」と。
「私が乳房の全摘手術をしたのが、小林麻央さんがお亡くなりになった日でした。手術が終わり、先生から『95%、大丈夫』と言われ、ベッドで休んでいたとき、枕元の携帯でそのニュース速報を目にして……。生と死について深く考えさせられ、複雑な気持ちになったのが、昨日のことのようです」
引用元:https://jisin.jp/entertainment/interview/1640995/
麻倉さんは麻央さんが闘病していることを知っていましたが、まさか自身が乳がんになるとは思ってもいなかったようです。
「麻央さんが闘病していることは知っていました。40歳を過ぎたら、乳がん検診が不可欠だということも。でも忙しさにかまけてしまったり、“自分は大丈夫”という変な自信があったりで、5年間も人間ドックを受けていませんでした。実は’16年の暮れ、着替えているときに胸を触ったら、しこりのようなものがあるのに気付きました。でも、そのころは、デビュー35周年のコンサートの準備のほか、病気になった父の看病も重なり、自らは病院にいくこともなく、“サイン”をやり過ごしていました」
そして、この出来事がきっかけになり、「生かされた命を役に立てたい」という思いが生まれました。そして、麻倉さんはいま、がん啓発活動を行なっています。
麻倉さんは、自宅のある神奈川県藤沢市で、ロックバンド「プリンセスプリンセス」の元メンバー富田京子さんとともに啓発のための組織「ピンクリボンふじさわ」を結成。市民祭りなどでイベントを開催し、検診の大切さなどを訴えています。
さらに、今後は安定的に活動を続けるためNPO法人にする計画で、「乳がんだけでなく、全てのがんに対応し、患者や家族の相談を受けられる拠点にしたい」と意気込みを語っているそうです。
麻倉さんは自身の乳がんを公表した理由について、こう語っています。
「私は信頼できる主治医と出会い、標準治療を受けて成功したが、医学的な根拠に基づかない治療にすがる人もいる。さまざまな情報が飛び交う中、わらをもつかむ思いだろうが、私の例が一つの指針になれば」
引用元:https://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201811/0011818824.shtml
乳がんと闘い、克服に向かって前進し続ける麻倉未稀さん。ご自身のヒット曲「HERO」のように、とてもまぶしく力強く見えます。
まとめ 麻倉未稀が乳がんステージ2克服!手術日に死去した小林麻央への思い
7月13日放送の「音楽の日」に、歌手の麻倉未稀さんが久々に登場します。
麻倉さんは2017年に乳がんの手術を受けていました。さらに、その手術日が、奇しくもおなじ乳がんと闘っていた小林麻央さんが亡くなった日。
それがきっかけで、自分の活かされた意味を考え、現在ではがんの啓発活動を行なってるそうです。
これからも、パワフルな麻倉未稀さんの歌声が聴けることを楽しみにしています。